執筆も進んでいませんし、完成した場合は結構なボリュームになりそうなので、
校正しながらある程度のところまでを順次掲載します。


正月が明けた数日後。相変わらず、どんよりとした灰色の雲が空を覆っていた。小雪が舞い散る午後、春斗は肩をすぼめながら駅前まで歩くと、車両の自動扉の脇に立ち、車窓に流れる景色を眺めながら五駅ほど離れたライブハウスに向かった。

十七時から行われる一葉 玲子のライブを見るためだ。玲子は春斗の一つ年下で、音楽サークルに入っている。ボーカルを務める彼女は、絶対音感を持つ春斗にしばしば音程の確認をしてもらっており、その成果を聞いて欲しいと、彼にライブのチケットを渡していたのだ。

カラオケボックスに通った成果が出ているだろうか?

少し興味を抱きつつライブハウスに到着した春斗は、受付の男性にチケットを渡すと、黒っぽい木目の洒落た壁が覆う廊下を歩き、ステージのあるライブスペースに入った。百人ほど入れるだろうか――。すでに三十人ほどの若い男女がステージの前を陣取っている。ステージでは、最初に演奏するグループが音合わせを行っており、エレキギターの大きな音が耳に響いた。

春斗は一番後ろで壁に凭れ掛かると、ポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認した。

「まだ三十分くらいあるな。コーヒーでも飲むか」

そう思い、一度廊下に出たところで玲子と鉢合わせになった。

「あっ。井野崎さんっ……来てくれたんだ」

「ああ。折角チケットを貰ってたからな」

目を見開いた彼女は笑顔を作ると、春斗と共に廊下の端に並んで立った。明るいブラウンのポニーテールに、黒いタンクトップ。その上にシルバーの半袖ジャケットを羽織り、深い赤のホットパンツを穿いている。上からタンクトップの胸元を覗き込む様な位置関係になり、彼は視線を泳がせた。

「来てくれて嬉しいよ。私達のバンドは二番目だから。三曲歌うの」

「へぇ〜、そうなんだ。この前、練習した曲も入ってるのか?」

「もちろん! あれからずっと練習してたんだよ。でも、井野崎先生に聴かれるのはちょっと緊張するな」

彼女は笑いながら、少し恥ずかしそうに頭を描いた。

「それならチケットをくれなかったら良かったのに」

「あ〜。それはやっぱり聴いて欲しいと思ったから。気持ちは半分半分なの」

「そっか。それよりもその格好で寒くないのか?」

チラリと胸元に視線を向けた春斗は、わざとらしく顔をしかめながら玲子に話しかけた。

「ちょっとね。でもステージで歌うとすぐに暑くなって汗が出る。熱気もすごいからねっ。だからこのくらいでちょうどいいんだ」

「なるほど。じゃあ、一番後ろで聴いておくよ」

「うん、分かった。もう少し裏で音合わせするから。じゃあステージで!」

「ああ」

ほんの二、三分話した後、彼女はステージ裏に消えて行った。ポニーテールを躍らせながら小走りする玲子の後姿。丸い張りのあるホットパンツの尻が左右に揺れ、その裾から伸びる肌色のパンストに包まれた足が何とも艶かしく感じた。

コーヒーを飲んでハウス内に戻ると、すでにほぼ満員の状態になっていた。人を掻き分けながら一番後ろの壁に凭れ掛かると、すぐに周りにも若い男女が並び、隙間が無いほど埋め尽くされた。

「こんな状態じゃ酸欠になりそうだ」

複数の女性達が付けている香水が混ざり合い、ある意味不快な匂いになる。それでも一組目のグループが登場し、演奏が始まると全く気にならなくなった。いや、気にしている場合ではなくなったという言い方が正しいかもしれない。

鼓膜にビリビリと響く大音響と激しいリズムに合わせて全員が腕を伸ばし、タイミングよく飛び上がる。一人だけ突っ立っているのもおかしいので、周りの人達と一緒に飛び上がる。このまま飛び続ければ必ず酸欠になると思っていると、二曲目は落ち着いた曲を演奏し始めた。客達は挙げた手を左右に振り、音楽に合わせている。春斗も同じ様にリズムを取って手を左右に振った。ステージ上のグループと客達が一体になっている。そんな感じを受けた。

何とか三曲目を聴き終えた頃には、全身汗だくになっていた。よく見れば、周りの客達は薄着で動きやすい服装をしている。春斗だけがダウンジャケットを着ていて、改めて場違いな服装だと自覚した。

「ライブハウスなんて初めてだからなぁ」

そう呟きながらふと隣に立っている女性を見ると、彼女も春斗に視線を合わせてきた。いや、最初から見ていた感じだった。

「あっ……」

彼女の顔を見てすぐに思い出した。長いストレートの髪に清楚な顔立ち。神社で幽体の春斗を見ていた女子高生だ。

「ど……どうして……」

「私も驚きました。まさか、こんなところで出会うなんて。今日はあの女性、一緒じゃないんですね」

「あ、あの女性って……」

「お兄さんが幽体になって取り憑いていた綺麗な女性ですよ。あの綺麗な人って、一緒にいた男性の奥さんなんでしょ? 小さな子供も連れていたし」

「いや……それは……」

再び大音響が流れ、玲子のバンドが演奏を始めた。隣にいる女子高生は何かを話したが、何を言ったのかは聞き取れなかった。気にはなったが、とりあえず玲子の演奏を聴きながら周りの客に合わせて体を動かす。女子高生も同じ様に体を動かしていた。音程が少し外れている様にも感じたが、この場の勢いに音程の正しさなんて無意味だった。みんなで楽しく歌って踊れる雰囲気が最も大切な事だと実感した。二曲目は、カラオケで一緒に練習したバラードだった。練習したというだけあって、裏声の長いパートも上手く歌いこなしている。絶対音感の春斗が聴いていても、全く不快に思わなかった。

三曲歌い終えた玲子は、額から汗を噴出しながら「ありがと〜みんなっ。そして井野崎さんもね!」と大きな声で笑顔を作り、満足げにステージから降りて行った。

「な、何だよ。あんなに大きな声で人の名前を呼ぶなんて。恥ずかしすぎるって」

思わず呟いた春斗に、「もしかして井野崎さんってあなたの事なんですか?」と女子高生が話し掛けてきた。

「い……いや。俺…もう帰るから」

「あっ!」

何だかややこしい事になりそうなので、急いで人を掻き分けながらでライブハウスを出た春斗は、まだ小雪が舞う歩道で大きく呼吸をした。冷気が肺に入り、とても心地よい。額の汗を拭い、ダウンジャケットの前を開けたところで、後ろから女性の声がした。

「ハウスの中とは全然温度が違いますね」

ふと振り向くと、先ほどの女子高生が笑顔で立っている。

「なっ! どうしてっ」

「あの、そこの喫茶店で少しお話しをしたいんですけど」

「まだライブは終わってないだろ。聴くつもりじゃなかったのか?」

「私、一組目のバンドを聴きに来たんです。でもまさかあなたがいるなんて……。これも運命かも知れないですね。井野崎さんなんでしょ?」

名前を問われ、何て答えようか黙っていると、「私、芦川 千佳って言います」と軽く会釈をしてきた。

「君はどうして俺の事を……」

「この前、神社で会った時から気になっていたんです。きっと井野崎さん、あの女性に乗り移ったんだろうなって。幽体が彼女の中に入って行くところが鮮明に見えました」

「…………」

「井野崎さん、あの女性の体を自由に操れるんでしょ!」

「な……何を訳の分からない事を……」

「少しだけ話しません? 私、井野崎さんの事……すごく興味があるんです。私がお金を出しますから」

「だから何を言っているのか分からないって!」

執拗に問いかけてくる彼女に、少し強い口調を使うと、千佳は自分の顔を指差しながら、

「ライブハウスでも言いましたけど、私も伊野崎さんと同じ能力を持っているんですよ」と、ほほ笑んだ。

「……えっ?」

「演奏が大きくて聞こえていませんでした? とりあえず……寒いから喫茶店に入りたいんですけど」

同じ能力――もしかして、彼女も他人の肉体に憑依できるのだろうか。

幽体の春斗が見えたり、乗り移って体を操るという言葉を口にする辺り、信憑性が高いと思った――。

 

 

春斗も聴いた事がある女性歌手の歌が、客の会話を邪魔しない程度の音量で流れている。

喫茶店に入った二人は、テーブルを挟んで対面に座ると、ウェイトレスにホットコーヒーを頼んだ。

「なあ……。同じ能力って、君は何が出来るんだ?」

 ダウンジャケットを脱ぎながら探るように問い掛けると、「さっきのバンドのボーカルの女性、井野崎さんとどんな関係なんですか?」と、逆に問い掛けてきた。

「いや、だから俺は能力の事を聞いているんだ」

「慌てないでください。きちんと話しますから。あの女性って友達なんですか?」

「……大学の友達さ。歌のチェックをしてやってるんだ」

「歌のチェックって、井野崎さんって学生じゃなくて先生? でも友達だったら学生ですよね」

「ああ、学生さ。彼女よりも一つ上なんだ」

「それじゃあ歌のチェックって……井野崎さんもバンドしているって事ですか?」

「そうじゃないよ。俺、絶対音感を持っているんだ。だからたまにカラオケボックスで、音程がずれてないかチェックしてやっているだけさ」

「ふ〜ん。絶対音感を持っている人なんてなかなかいないですよ。私は歌なんて全然歌えないです。友達とカラオケに行っても聴いているだけです」

「そうなんだ。友達って、神社にいた二人の事?」

「はい。二人とも中学のころからずっと一緒にいる親友です」

ウェイトレスがホットコーヒーをテーブルに置くと、千佳は伝票をポケットに仕舞おうとした。

「ああ、いいよ。年下の女の子にお金を払わせる訳にはいかないから」

「でも私が誘ったので」

「いいから」

春斗が手を差し伸べると、彼女は軽く会釈しながら「すみません。ご馳走様です」と伝票を渡した。

「で? 君は一体何者なんだ」

コーヒーを口に運びながら尋ねると、彼女は「私、他人に乗り移って体を自由に操ることが出来るんです」と答えた。

「誰にでも?」

「はい。誰にでも」

「そ……そうなんだ。すごいな」

「だから、同じ能力を持っている人に出会えて、すごく嬉しいんです。井野崎さんってあの女性の事が好きなんですか?」

「す、好きって言うか……彼女は義理の姉だからな」

「そうなんですか。じゃあ、横にいた男性って井野崎さんの兄弟で、あの女性の旦那さんだったんですね。小さい子供と三人家族なんですか?」

「ああ」

 彼女は少しの情報から茂家族の状況を推察した。

「どうして、お兄さん家族に幽体で付いて行ったんですか? やっぱり、あの美人なお義姉さんと一緒に居たかったから? それとも気になる事があったんですか?」

「べ、別に気になる事なんてないけど、な……何となくさ」

 春斗は、矢継ぎ早に出てくる彼女の質問に言葉を濁した。

「私が男性なら、きっとお義姉さんの様な綺麗な女性と付き合ったり、結婚したいと思いますよ。でも兄の奥さんなら好きになったとしても、どうする事も出来ないですね。それじゃあやっぱりさっきのボーカルの女性が井野崎さんの本命なんですか?」

 好きになったとしても、どうする事も出来ないですね――女子高生でも安易に分かる事だ。それが分かっていても、彼女の言葉は春斗の胸に鋭く突き刺さった。

「歌っていた彼女とはただの友達だよ。歌を練習する時だけしか会ってないし、普段はメールのやり取りもしていない」

「ふ〜ん……」

千佳は温かいカップを両手で包み込む様に持ちながら、何かを考えていた。

「そう言えば、井野崎さんってお義姉さん以外だと、どんな人に乗り移った事があるんですか?」

「えっ……無いよ。彼女だけさ」

「どうして?」

「それは……彼女にしか乗り移れないからさ」

「えっ! そうなんですか?」

「他人の体に入ろうとしても入れないんだ。魂の波長というか体の相性というか……俺の魂が他人の体に居座れるのは彼女だけみたいなんだ。それにしても……君はさっき、他人にって言い方をしていたから、誰にでも乗り移れるんだ。すごいな……」

「小さい頃に気づいていました。自分の体から離れて他人の体に乗り移れる事を。これって一般的には憑依って言うんですよね。どうして自分だけこんな事が出来るんだろうって思ってました」

「何人くらいの人に乗り移ったんだ?」

「さあ……数え切れないです。両親や近所のおばさん。片思いだった男子や先生。全然知らない人達にも」

「それは……何の目的のために?」

「気分転換です。私は内気で積極的な方じゃないですけど、他人になれば仮面を被っている様に大胆になれます。自分じゃ出来ない事も、他人の体なら出来るでしょ。私みたいな華奢な体が、筋肉質な男性に憑依すると何でも持ち上げられるんです。先生になって、普段は偉そうにしているクラスメイトを叱ってみたり、アイドルになれば周りからチヤホヤされて優越感を味わえるでしょ」

「ま……まあな。アイドルにまで憑依出来るなんて驚きだよ」

「それに……」

言葉を止めた彼女は、身を乗り出して春斗の耳元で囁いた。

「本当は……ストレートに言うと他人の体でオナニーやセックスをするためなんです」

千佳の口から出た言葉に、春斗は咳払いをした後、コーヒーを一口飲んだ。

「井野崎さんもしたんでしょ? あの綺麗なお義姉さんの体で。他人の体って自分とは全然違うから楽しいです。同姓でも異性でも。井野崎さんは他の男性がどんな風に感じるのか興味ないですか?」

「俺は無いよ。他人に憑依出来たとしても、男になりたいとは思わないな」

「そうですか。私は同姓でも全然嫌じゃないですけど。何かすごいです。私……自分のままで男の人とこんなにたくさん話したのは初めてです。しかも……同じ能力を持つ人と話せてとても楽しいですっ!」

相変わらず両手でコップを持つ彼女は、興奮しながらも嬉しそうに笑顔で話していた。声のトーンや表情からも、普段は内気で積極的に話が出来る子ではなく、よほど春斗と話がしたくて、勇気を出して声を掛けて来たんだろう――彼はそう思いながらコーヒーを飲み干した。

「俺、そろそろ帰るわ。お金は払っておくからゆっくりしてくれていいよ」

「えっ! あ、はい。でももう少しだけ……」

少し残念そうな表情をした千佳は、「あのっ、井野崎さん。また私と会ってもらえませんか?」と、春斗に真剣な眼差しを注いだ。

「……機会があればね」

「機会があれば……それじゃ、私の連絡先を渡します」

「いいよ別に。じゃあね」

「い、井野崎さんっ。待って。待って下さい!」

あまり関らない方が良いと思った春斗は、連絡先を聞かず、足早に喫茶店を後にした。

「参ったな……。ちょっと喋りすぎたか」

すでに空は暗くなっており、電灯が点いていた。

兄夫婦や玲子について色々と喋ってしまった事を後悔しながら、もう一度ライブハウスに戻った春斗は、玲子の姿を探した。

結構な時間が経っており、客達はすでに帰っていた。係の人達が片づけを行っている中、玲子が入って行った【関係者以外立ち入り禁止】と書かれた扉の前でノックしようかと躊躇していると、ちょうど扉が開き、賑やかな話し声をバックに彼女が顔を出した。

「あっ、井野崎さん! まだいたんだ。もしかして私を待っててくれたとか? 今ね、パブタイム中なの。ああ……関係者で打ち上げしてるって事。賑やかでしょ! それより、今日は来てくれてありがと。私の歌、どうだった?」

「ああ、良かったよ。バラードもすごく良かった。俺が聴いていても全然音ズレしてなかったよ」

「ほんとに? 伊野崎先生に褒められたらやっぱり嬉しいな」

「……って言うか、大勢の前で名前を呼ばれたら恥ずかしいって」

「ごめんね! だって来てくれて嬉しかったんだもんっ」

「別に嫌じゃなかったけどさ。じゃあそろそろ帰るよ。上手かった事を伝えたかっただけだから」

「うん、ありがと。ねえ伊野崎さん、ちょっとだけ待っててくれる?」

「えっ、いいけど」

玲子はクスっと笑うと扉を閉めた。そして三分程するとまた顔を出し、折り畳まれた小さなメモ用紙を差し出した。

「これ、家に帰ってから読んで! 絶対に帰る途中で読んじゃだめだよ」

「何が書いてあるんだよ?」

「それを言ったら家に帰ってから読む意味がないでしょ。約束だからねっ」

そう言うと、春斗の両肩に手を添え、軽く背伸びをしながら頬にキスをした。

「なっ! お、おい……」

「ちょっと大胆だったかな。わざわざ聴きに来てくれたお礼だよっ。嫌じゃなかったでしょ。じゃあまた学校で!」

「あ、ああ……」

彼女はウィンクすると、ゆっくりと扉を閉めた。

「な……何だよ、今日のお礼って。別に聴きに来ただけなのにさっ」

そっと頬に手を添えた春斗は、彼女の唇の柔らかな感触を思い出し、照れ笑いした。

「もしかして俺に気があるのか? いや、そんな筈ないよな。でも……このメモ用紙には何が書いてあるんだろう」

あの様子からして、好意的な内容が書かれているかもしれない。そう思いながら頬を緩ませた春斗は、一瞬、由香利を脳裏に浮かべた後、メモ用紙をポケットに仕舞い軽い足取りで家路に着いた。

 

 

「ただいま」

「おかえり春斗。もうすぐ夕食が出来るから、先に風呂に入っておいで」

母親の言葉をよそに部屋に戻った春斗は、折り畳まれたメモ用紙を机に置くと部屋着に着替えた。

「何が書いてあるんだ?」

内心、ドキドキしながら椅子に座り、メモ用紙を開いた。そして、書かれている内容を目で追いながら、別の意味で高鳴る鼓動を感じた。

「な……何だよこれ……。まさか……」

もう一度読み返してみる。

「嘘だろ……」

メモ用紙には、女子高生らしい丸い字体でこう書いてあった。

【井野崎さん。今日はコーヒーをご馳走になりありがとうございました。とても美味しかったです。それに、短い時間でしたが、同じ能力を持つ井野崎さんと話が出来て嬉しかったです。私は久我西女子高に通っているんですけど、今週で冬休みも終わり、来週から学校が始まります。是非、幽体になって学校まで来て下さい。校舎の4階、3年D組です。私の事をもっと知って欲しいし、井野崎さんの事も知りたいです】

「あの時、すでに一葉さんに憑依していたって事か。タイミングよく出て来た筈だよ。でも……全然分からなかった。まるで彼女が喋っていた様な……やっぱり、俺と同じ様に乗り移った相手の記憶が読めるのか」

背凭れに体を預けた春斗は、玲子の口唇で千佳にキスされた頬に手を添え、天井を仰ぎながら大きな溜息をついた。

「そう言えば思い出した。あの時、確か【じゃあまた学校で】って言ってたよな。大学って言わなかった事に何となく引っかかったけど、わざと……そういう事だったのか」

厄介な人物に遭遇してしまった――改めてそう思った。

「春斗っ! 早くお風呂に入らないと、先に食べ始めるよっ」

母親の声に、「あ、ああ……」と気の無い返事をした彼は、これからどう行動しようかと思案しながら風呂に入った。

 

 

「彼女は何処まで記憶が読めるんだろう?」

 風呂から上がった春斗は、ベッドに体を預けると天井を見つめながら呟いた。彼女に会うのは危険な気がする。これ以上、彼女に関わるとプライベートな事を色々と詮索されそうだ。メモはもらったが、会わない方がいいと思った。

「でも、彼女が一葉さんの記憶を読めるなら、一葉さんが知っている俺の情報を覗き見たかもしれないな。通っている大学もすぐに分かるだろうから、教授や事務員に憑依すれば簡単に住所も知られてしまうか」

 そう考えると、彼女はわざわざ春斗にメモを渡す必要もなく、自分から会いに来る事も出来る筈だ。

 それなのに、わざとメモを渡して春斗に会いに来る様に仕向けたのは、あまり考えていなかったのか、それとも何か理由があるのだろうか。

本当に厄介な相手に出会ってしまったものだ。

「どうしようか……。どのみち、会いに行かなきゃ向こうから来るんだろうな。それならこっちから会いに行く方がいいか?」

 気が乗らないが、結果が分かっているなら早いうちに会って、関わらない様に話を付けた方がいい。

「はぁ〜、仕方ない。月曜日は大学が始まってるけど、講義は午前中だけだから午後から行ってみるか」

 観念した春斗は、何度も溜息をつきながらスマートフォンを手に取り、由香利の画像を表示した。

「由香利さん、どうしているかな? 樹里ちゃんも元気にしているだろうか?」
つい先日まで一緒にいた義姉の事を思い出しながら、また一つ、溜息をついた――。