「ご飯だって、姉ちゃん」
「焼き魚、ちゃんと食べなさいよ。アタシの体なんだからね」
「わ、分かってるよ。姉ちゃんはあまり食べちゃだめだからね」
「うっ……。そ、そうね。食べたいものが食べられないなんて。こういう弊害もあるんだ」
「今日は体調が悪い事にしようかなぁ」
「コラッ! しっかり食べなさいよ。分かった?」
「う〜ん……」

 稔は曖昧な返事をすると椅子から立ち上がり、ずれた眼鏡を指で上げた。

「おかえり、パパ」
「おかえり、父さん」
「ああ、ただいま」

 二人してキッチンに入ると、すでに父がラフな格好で椅子に座っていた。互いの顔を見合った後、本来の体が座るべき椅子に腰掛ける。
 母がテーブルに全ての料理を出し終えると、「いただきます」の言葉に続いて夕食が始まった。父がビールを飲みながら母と話をしている。瀬里奈と稔は、無言で焼き魚に箸を伸ばしていた。

「そうだ瀬里奈」

 父が不意に名前を呼ぶと、二人とも「何?」と答えた。

「えっ?」

 同時に返事をした姉弟に目を丸くした父は、「稔じゃなくて瀬里奈と言ったんだ」と改めて姉の名前を口にした。

「あ……あはは。ぼーっとしてて間違えちゃった」

 そう答えたのは稔の姿をした瀬里奈だった。

「変な稔。しっかりしてよね」

 慌てて瀬里奈(稔)がフォローに入ると、稔(瀬里奈)は苦笑いしながら「うん、姉ちゃん」と答えた。

「瀬里奈、この前テストがあったんだろ。結果はどうだったんだ?」
「えっ、テストって?」

 知らない事を聞かれ、戸惑う瀬里奈(稔)が稔(瀬里奈)に視線を送った。

「ね、姉ちゃん。三日前にテストがあったって言ってたでしょ。あれの事じゃない?」
「あっ、えっと……。そ、そっか。あれの事だね」
「確か、数学は良かったけど他の教科はあまり出来なかったんじゃない?」
「う、うん。よく覚えているね、稔」
「なんだ。数学以外はだめだったのか」
「だめって事は無いけどね……そうだよね、姉ちゃん」
「ま、まあね」
「もうちょっと頑張らないと、希望する大学には入れないぞ」
「わ、分かってる。パパ……」
「そういえば稔。最近、貴志君と一緒に遊んでいるみたいだけど、大丈夫?」
「えっ? た、貴志君?」

 今度は母からの問いかけに稔(瀬里奈)が顔をしかめ、瀬里奈(稔)に助け舟を求めた。

「ほら稔。ラムネをくれた友達の事でしょ」
「えっ! あのラムネ、貴志って子がくれたの?」
「な、何言ってるの稔っ! アンタがアタシに教えてくれたんじゃない」
「……あっ。そ、そうだったっけ」
「……大丈夫か? 二人とも」

 父が二人のちぐはぐな会話に首をかしげている。母も、そのやり取りに呆れた様子であった。
 流石に知らない事を聞かれると対応しきれないと思った瀬里奈は、話題を変えるべく、稔の声で父に話しかけた。

「ね、ねえ父さん。今度の日曜日は仕事?」
「んん? 今度の日曜日か。多分休めると思うが、どうしたんだ?」
「あ、うん。たまには遊びに連れて行って欲しいなって思ったんだけど」
「珍しいな。最近はあまり父さんと外に出たがらなかったのに」
「た、たまにはいいかなぁって……」

 父と遊ぶ気なんて全く無い稔は、勝手に話を進める父姉の間に割り込んだ。

「だめよ稔。パパは仕事で疲れているんだから、ゆっくりと休ませてあげないと」
「ははは、構わんよ。たまには稔と外に出るのも悪くない」
「そ、それならアタシと付き合ってよ。アタシだって久しぶりにパパと一緒に出かけたいし」
「瀬里奈もか?」
「なっ! う、ううん姉ちゃん。僕が父さんと一緒に出かけるから」
「アタシがパパと出かけるの。稔、分かった?」

 明日には自分の体に戻っているのだから、ここで話がまとまれば日曜日に父と出かけなければならない。それが嫌な二人は、互いの体で必死にアピールした。何も知らない父は、姉弟からのラブコールにご満悦だ。

「今日は一体どうしたんだ? 二人とも父さんと一緒に出かけたいなんて。はは〜ん、さてはお前達、何か買って欲しい物があるんだろ」
「そ、そういう事じゃないんだけど……」

 互いの顔を見つめあう瀬里奈と稔は、妙な方向に話が進んでしまった事に気まずい表情を取った。

「それじゃあ、二人とも一緒に行ったらいいんじゃない?」

 母の言葉に、父が頷いている。

「そうだな。今度の日曜日は一緒に出かけるとするか」
「ええ〜っ。そ、そんなの……」

 嫌だと言いたかった姉弟だが、否定すると父をがっかりさせると思い、それ以上の事を口にしなかった。
 そして、結局のところは家族四人で出かけることになったのだった。

「どうしたの瀬里奈。今日はあまり食べてないじゃない」
「う、うん。ちょっと具合が悪くて」
「風邪でも引いたのかしら?」
「分からないけど。ごめんねママ、ちょっと残してもいい?」
「いいけど、薬でも飲む?」
「だ、大丈夫だから。ご馳走様」
「ね、姉ちゃん。今からどうするの?」
「トイレに行ってから部屋に戻ってる」
「そ、そう……って、トイレっ!」

 その言葉に驚いた稔(瀬里奈)は、顔を赤らめた。

「どうしたの稔? 大きな声を出して」
「えっ。あ、あのっ……その……。ううん、何でもない」

 自分の体でトイレに行かれるのは非常に恥ずかしいと感じた瀬里奈は、出来れば一緒に付いていって目隠ししながらさせたかった。しかし、この状況では叶わないのだ。
 便座に座って股を開き、いやらしく股間を覗き込む自分の姿を想像すると更に顔が熱くなり、鼓動が高ぶる。入れ替わっているのだから仕方が無いと割り切っても、やはり割り切れない気持ちがあった。
 瀬里奈は、キッチンから見えなくなった自分の後ろ姿に戸惑いながら、両親に怪しまれないよう、ご飯を口に放り込んだ。