「姉ちゃんったら、急に何を言い出すんだよ」

 変な事を喋られたら困ると思った稔は少し間を置いた後、瀬里奈の元へ向かった。

「姉ちゃん、入るよ」

 自分の部屋の扉をノックし、ゆっくり開くと勉強机に向かう小さな背中が見えた。

「姉ちゃん?」
「どうしてこんな問題も出来ないのよ。字だってすごく汚いし」
「えっ?」

 近づくと、稔(瀬里奈)が宿題をしていた。後ろから覗き込むと、小さな手がノートに書く字体が妙に大人びていて違和感を覚える。

「ね、姉ちゃん。もしかして僕の宿題をしてくれてるの?」
「アンタね、もうちょっと勉強しなきゃだめだよ。塾に行ったら?」
「だって、塾に行ったら遊ぶ時間がなくなるじゃないか」
「ここまで来たら、そういう問題じゃないと思うけど」
「…………」

 言い返せない稔は、姉がスラスラと問題を解いてゆく姿を眺めるだけだった。母がこの姿を見ると、よほど褒められるに違いない。そう思っていると、「ほら、教えてあげるから座ってよ」と椅子を譲られた。

「えっ。僕がやるの?」
「ご飯が出来るまで時間があるでしょ。その間、アタシが教えてあげるから」
「姉ちゃん?」
「……まあ、アタシも色々と考えるところがあるのよ」

 瀬里奈(稔)を椅子に座らせた稔(瀬里奈)は、一つずつ問題を教え始めた。傍からみれば、小学生が高校生に教えているのだから滑稽に見えるだろう。
 稔は、鉛筆を持つ長い指に戸惑いながらも、自分の姿をした姉の言葉に一々頷きながら問題を解いていった。

「ほら、もっと綺麗な字で書いたら?」
「うん。母さんが見たら、何ていうかな?」
「変に思うんじゃない? アタシが稔の椅子に座って宿題してるんだから」
「そうだよね。それにしても、姉ちゃんの体だと机が低いね。それに鉛筆を持つ手の感覚も違うしさ」
「アタシだって短い指で鉛筆を持つのって変な感じだったわよ。それに鉛筆を使うのって久しぶりだし」
「だって、学校は鉛筆しか使っちゃだめだって言われてるから」
「そりゃそうでしょ、小学生なんだから。シャーペンは中学に入ってからじゃない?」
「でも、他の小学校はシャーペンを使っている子もいるよ」
「ふ〜ん。○△小学校はアタシの時からずっと鉛筆だったけどね」
「うん。で、この問題ってどうやって解くの?」
「今さっき教えたところと同じじゃない。ちょっとくらい覚えてよね」
「だって、すぐに覚えられないもん」
「それなら何度も書いて覚えたらいいじゃない。アタシだってそうして来たんだから」
「はぁ〜」
「溜息つかないで、早くするっ!」
「わ、分かったよ姉ちゃん」

 溜息をついた稔だが、嫌な気分ではなかった。こうして姉が勉強を教えてくれるのは本当に久しぶりの事だ。隠しているラムネが脳裏にちらついた。

(体を元に戻そうかな。でも、もう少し姉ちゃんの体でいたいし)

 そんな事を思う稔であった。

「それにしても、眼鏡無しでここまで見れるって羨ましいわね」
「姉ちゃん、眼鏡外したらすごくぼやけるもんね」

 稔は瀬里奈の顔から眼鏡を外し、部屋を見渡した。見えるべきものが見えないと言うのは不自由なものだ。眼鏡を掛けたり外したりしながら、その違いを確かめる。

「小さい頃は良く見えてたんだけどね」
「ゲームのしすぎじゃない?」
「その言葉、アンタにそのまま返すわ」
「でも、僕はそんなに目が悪くならないよ」
「人によるんじゃない?」
「うん。ねえ……姉ちゃん」
「何よ」
「姉ちゃんは女に生まれて良かった?」
「はぁ?」
「男と女、どっちの方が得なのかな?」
「……そんなの分からないわ。まあ、女の方が色々な服があるし、お洒落できるから得かもね」
「それに、気持ちいいしね!」
「気持ちいいって……やっぱりアタシの体、触ったんだ」
「姉ちゃんの体って全部気持ちいいよ。どうしてこんなに違うんだろう」
「人の体、勝手に触らないでよね」

 そうは言ったものの、言葉に力が無かった。自分も稔の体を触ってしまった事を気にしているのだろう。

「絶対に女の体がいいよ。毎日オナニーしたくなるもん」
「だからアタシの姿でそんな言葉を使わないでよっ。こっちが恥ずかしくなるじゃない」
「ごめん姉ちゃん。でも、僕の体と比べたら絶対姉ちゃんの体の方が気持ちいいでしょ?」
「……女性は大変なの。赤ちゃん、産まなきゃならないんだからね」
「生まなくてもいいんじゃない?」
「そんな事無い。だって、好きな人が出来て結婚したら、その人との間に子供が欲しいと思うから」
「そうなのかなぁ。僕には良く分からないけど」
「稔はまだ小学生だから分からないよ。アタシだって、まだよく分かってないけど……。後は、生理が辛いよ」
「セイリ?」
「……毎月お腹が痛くなるの。稔はそんな風にならないでしょ?」
「どうしてお腹が痛くなるの?」
「赤ちゃんを作る準備をするから。はぁ〜、まさかこんな話を稔にするなんて思ってなかったな。結構痛いんだよ。アタシが生理の時じゃなくて良かったね」
「食べ過ぎて痛くなるのと同じじゃないの?」
「違うよ。女性にしか分からない痛みなんだ」
「ふ〜ん」

 感覚が良く分からない稔は、Tシャツの上からお腹を摩った。

「ほら、早く宿題やりなよ」
「……何か、姉ちゃん優しいね」
「アンタがアタシの体でママと話している時、稔にきつい事ばかりしちゃだめだって言われてたのを聞いて、ちょっとショックに思った。ママにはそんな風に見えているんだって。何度か言われた事があるけど、ずっと聞き流していたんだね。相手の立場で自分を見たら、初めて分かる事もあるんだって思っただけ」

 その後、三問ほど問題を解くと父が帰ってきた。そして、母が「ご飯が出来たわよ」と二人を呼んだのであった。