この作品は「新入れかえ魂Vo.1」に掲載されたものです。
全編終了までに、「超能力」「MC(マインドコントロール)」「事実誤認」「憑依」が含まれます。
また、一部ダークな内容が含まれますので、読みたいと思われる方のみお読みください。

今回は、特にイベントはありません。
「うっ……ん……」

 利和はゆっくりと目を開いた。白い天井らしきものが薄っすらと見えている。そして、ほんの少し視線を移動すると、両親の顔がぼやけて見えた。

「と、利和っ! 気が付いたの? よ、良かった……ううっ」
「せ、先生っ! 利和がっ、利和が目を覚ましました」

 視線を合わせると、母親は涙を流しながら喜んでいた。

「お、俺……死んでなかったのか」

 思った事が口に出る。それが生きていたんだと実感できた瞬間だった。

「何、縁起の悪い事言ってるのよっ! アンタが死ぬわけないじゃないのっ。ねえ、お父さんっ」
「ああ。意識が戻ってよかった。お父さん、本当にお前が……くぅっ」

 父親まで泣き出した。泣きながらも嬉しそうな表情。よほど利和の意識が戻ったことが嬉しいようだ。
 その後、しばらくして担当医が話しかけてきた。

「大丈夫かい?」
「あ、はい」
「君はトラックに右足を轢かれて骨折したんだ。そして、宙を舞った後に頭を打った」
「……そうなんですか」
「CTで脳を調べたが、幸い異常は認められなかった。でも、しばらくは入院してもらうよ」
「はい」

 利和は先生の言葉を聞いたあと、自分の惨めな姿を再認した。右足の太ももまでギブスがはめられていて、頭には包帯が。今になって、ようやく体の痛みを実感した。全身が熱っぽくて疼くような感じ。そして、頭の奥からズキズキと響くような痛み。

「せ、先生。体が痛いです。頭もズキズキするし」
「そうか。じゃあ痛み止めを飲んでもいいよ。池澤君、痛み止めを」
「はい」

 担当医の影から現れたのは、半袖のナース服を着た二十歳前半くらいの看護師だった。胸元には池澤果乃(いけざわ かの)というプレート。
 ナースハットに黒髪が束ねられ、スタイルのよさそうな体にピンク色のナース服がとても似合っていた。白いパンストに包まれたセクシーな細い足にドキドキ感を覚える。

「この痛み止めは、頭痛が激しい時にだけ飲む事。分かったね」
「はい」

 担当医は、薬を早速飲んだ利和に「それじゃあ午後からは四人部屋に移動してもらうけど、大丈夫かい?」と尋ねた。

「はい。別に構わないですけど……」

 その後、利和は病院食を食べ終わると四人部屋に移動した――


「皆さん、お世話になります。どうぞよろしくお願いします」

 両親が同じ部屋に入院している三人の患者に挨拶をしていた。利和も窓際のベッドに上半身を起こした状態で軽く会釈をする。
 利和の隣にいるのは顔に皺をたくさん作っている老婆だった。もう八十歳を超えているように思える。そして、目の前には中学生の女の子。その女の子の横には、六十歳くらいの男性が寝ていた。
 皆、体のとこかにギブスを嵌めているところを見ると、利和と同じように骨折しているのだろう。
 午前中にいた一人部屋から考えると、病室全体が妙に狭く感じる。とりあえず個人個人のプライバシーが確保できるように、天井にはベッドに沿ったカーテンレールが設置してあった。きっと、カーテンで仕切ることが出来るのだろう。十四インチのテレビが置かれている台には、引き出しが幾つも付いていて、上部からちょっとしたテーブルが引き出せるようになっていた。
 他の患者のテーブルを見ると、急須やコップ、雑誌やお菓子などを置いていた。

「綺麗な花でしょ」
「そんなの、別にいらないのに」
「いいじゃないの、花くらい置いておかないと気分が滅入るでしょ」
「そんなことないけどさ。男なんだから」

 母親が白くて長細い花瓶に、黄色い花を生けて持ってきた。

「何か欲しい物はある?」
「昨日発売した漫画と週刊雑誌でも買ってきてよ」
「お菓子とか、何か食べ物を買って来ようか?」
「別にいらない」
「そう。病院は携帯電話が使えないから、一階のロビーにある公衆電話を使うのよ。メールとかしちゃ、ダメだからね」
「分かってるって、それくらい」
「それじゃ、お父さん」
「ああ。利和、しばらくはゆっくりと休んでおけよ」
「分かったよ、父さん」

 両親が帰ってしばらくすると、先ほど頭痛薬を貰った看護師の果乃がやって来た。

「重河君、頭の調子はどう?」
「あ、そういえば痛くなくなりました」
「そう。何かあったらこのナースコールのボタンを押してね」
「はい」
「それから……」

 果乃は入院生活をする上での注意事項、役に立つ事などを色々教えてくれた。入院なんてした事がなかった利和にとっては少し新鮮な感じがしたが、それよりもこうやって話をしている果乃のスタイルから目が放せなかった。少し見上げる形で果乃の姿を見ていることになるのだが、そのナース服に包まれた胸がとてもセクシー。利和にとっては大人の女だ。
 そんな大人の女と至近距離で長時間いたことがないものだから、自然と胸がドキドキしてしまった。

「それじゃあ」
「はい」

 果乃の後姿が見えなくなるまで見送った利和は、何となく部屋を見渡した。斜め奥の男性がイヤホンを耳に当ててテレビを見ている。他人に気を使って、直接テレビのスピーカーから音を出すようなことはしないのだろう。隣の老女はずっと目を瞑って寝たまま。
 そして、前のベッドで少女漫画を読んでいる女の子は、利和のことが少し気になるのか時折利和をチラリと見ていた。だからと言って、声を掛けてくることはない。

「あ〜あ」

 まだ十五時を回ったところ。時間の流れが妙に遅く感じる。あとどの位このベッドで過ごさなければならないのだろうか?
 ふと感じたが、勉強する必要がないというのはちょっとラッキーな気がした。かったるい授業を受けなくても良いというのは好都合だ。だがしかし、そんな事は言っていられない。一ヶ月もしないうちに学校でテストがあるのだ。ここは少しでも勉強しておく必要があるだろう。
 勉強嫌いの利和でも、このまま何もせずにテストを受けられるほど肝っ玉は大きくない。

「しまったな。教科書くらい持って来てもらえばよかった」

 ベッドの下に置いているカバンに手を伸ばし、携帯電話を取ろうとする。しかし、病院内では使うなと言われたばかり。

「そうか、そういやダメだったんだ。う〜ん……でも、病院の外なら大丈夫だよな」

 ブツブツと独り言を言いながら携帯電話をパジャマのズボンのポケットに入れると、ベッドから体を起こして、初めて体験する松葉杖を両脇に挟みながらゆっくりと立ち上がった。

「いっ……」

 骨折している右足が痛い。先ほどこの病棟に来るときは車椅子を使い、両親や担当医が手を貸してくれたのでそれほど感じなかったのだが、こうやって一人で動くとなるとかなり大変だ。

「とりあえず車椅子までこのままで行くしかないか」

 周りに視線を移したところで、誰も手伝ってくれなさそう。利和はゆっくりと病室を出ると、少しだけ離れた廊下の隅にある車椅子置き場にたどり着いた。車椅子は数台、折りたたまれて置いてある。

「よいしょっと」

 左足に体重を掛け、上手い具合に車椅子を広げて腰を下ろす。そして、松葉杖を壁に立てかけたあと、ゆっくりと左右のタイヤを前に転がし始めた。

「この方が全然楽だよな」

 ギブスのせいであまり膝が曲がらないが、松葉杖で歩くより随分と楽だ。利和はそのままエレベーターに乗ると、一階のロビーに出た。たくさんの患者が長椅子に並んで座っている。
 公衆電話も見つけたのだが、携帯を持って来たので外でかける為にロビー入り口へと車椅子を進めた。

「あれ?利和君じゃない。その格好……どうしたの?」
「えっ……あ。西原さん!」
「もしかして、事故か何かに?」
「うん。ちょっとね……」
「大丈夫なの?頭に包帯してるけど」
「検査したけど、脳に異常はなかったみたい」
「そう。それなら良かったけど」
「西原さん、もうすぐ生まれるんだね。検診に来たの?」
「ええ。予定日まであと十日くらいかな」
「ふ〜ん。もう名前とか決めたの?」
「そうね、候補は決めたわよ。女の子だから可愛らしい名前をねっ!」
「そうなんだ。俺んちにも赤ちゃんの元気な鳴き声、聞こえる様になるのかな?」
「さあ、どうかしら。でも、夜中まで聞こえちゃったらごめんね」
「いいよ別に。俺、そういうの全然気にしないし」
「そう言ってくれると助かるわ。近所の人に色々迷惑かけちゃうかもしれないし」
「そんなの仕方ないよ。赤ちゃんなんだからさ」
「……そうね。あっ、そろそろ検診の順番だから」
「うん。俺も親に電話掛けようと降りてきたから」
「そう。ごめんね、呼び止めたりして」
「いいよ。じゃあまた病院で会うかもしれないね」
「そうね、じゃ」

 もうすぐ対面する愛しい赤ちゃんを両手で優しく撫でるようにしながら、西原佐智恵は歩いていった。彼女は二十六歳。利和の家の隣に引越してきた新婚さんだ。引越当時はまだ妊娠しておらず、その容姿はモデルかと思えるくらい綺麗だった。IT企業の重役を勤めているという旦那のおかげで専業主婦をしていると聞いていたが、金持ちでうらやましいと言うより、あんな美人と結婚している事の方がよっぽどうらやましく思えた。
 セミロングでダークブラウンな髪。細い顎のラインがお姉さんの雰囲気をかもし出している。そんな佐智恵が妊娠したと聞いた時はちょっとショックだったが、それがきっかけで話を良くするようになったという点ではラッキーだった。たまに利和の家に来て、母親と話をしている事が多くなったからだ。
 妊娠時の事、そして出産後の事。それらを経験し、知識のある利和の母親に聞いているらしい。
 だから、利和が学校から帰ってきた時にはまだ彼女は家にいて、応接間で一緒に話す機会もあった。
 最初は敬語を使っていたが、そのうちタメ口で話せるように――それだけ親しくなれた証拠だ。

「そっか。もう赤ちゃんが生まれるんだ。佐智恵さんの赤ちゃんだから、きっと可愛いだろうな」

 ロビーの入り口を出た、目の前にある駐車場。そこで母親に勉強道具を持ってきてもらうように携帯電話で頼んだあと、また病室へと戻った。

「少し動いただけでも汗が滲んでくるよな」

 慣れない車椅子。胸元に薄っすらと汗を感じた。ベッドに体を預け、大きくため息をついた利和は、ガラス窓の向こうに見える白い雲をじっと眺めた。
 遠くの空が薄っすらと紅く染まり始めているが、夕食まではもう少し時間がある。それに、お腹も空いていない。

「あまり体を動かさないと、お腹も空かないよな」

 そんな事を呟きながら、今度は花瓶に入っている黄色い花に視線を移した。その花の名前は分からないが、綺麗な形の花びらが五枚付いている。利和がじっと眺めていると、その花びらは恥ずかしそうにゆらゆらと揺れていた。

「何て名前の花なんだろ、綺麗だけど」

 花に対して綺麗なんて言葉を使ったのは初めてかもしれない。

「俺、そういうことを口にする感情なんて持ち合わせていたんだ」

 自分でも不思議だった。不思議と言えば、こうやって何気なく見ている花。どうして花びらが揺れているのだろう?
 窓から隙間風が入ってきているのだろうか?
 利和の肌に風を感じることはない。

「少しの風でもこんなに揺れる……んだ?」

 今、花びらが一枚、妙な動きをした。風で揺れているとは思えない動きだ。大体、風で揺れるのなら五枚の花びらが同じような感じで揺れるはず。それなのに一枚だけ――利和がじっと見つめていた一枚だけクルッと丸まってしまったのだ。

「え? ま、丸まった?」

 別の花びらを見つめる。また同じように丸まるかもしれないと思っていたら、なんとその花びらも丸まってしまったのだった。

「なっ……」

 利和は他人に気づかれないよう、心の中で大いに動揺した。自分が思った通りに花びらが動いている。 
 試しにと今度は、別の花びらを見つめて逆に丸まるよう想像した。すると、思ったとおり別の二枚とは逆の方向に丸まってしまう。
 その花は異様な咲き方をしていた。

「こ、こんな事って……まるで超能力みたいだ」

 俗に言うテレキネシスという部類だろうか。自分が見つめた物が、思った通りに動くというやつだ。

「俺……超能力者にでもなってしまったのかな」

 他の物も動かせるのか?
 そう思いながら、今度はテレビを見つめて浮かそうとした。でも、テレビは全く動かない。その後、いろいろな物を動かそうと思ったが、カーテンが微妙に動いたくらいだった。

「そうか。軽い物しか動かせないんだな。でも、もしかしたら重たい物だって動かせるようになるかもしれない」

 何となくそんな感じがした。きっと、更に精神を集中できるようになれば、思い通りに動かせることが出来るのだと。しかし、今日は精神的にも疲れたので無理はしなかった。

「また明日から試すかな」

 もしかしたら、明日になったら花びらさえ動かせなくなっているかもしれない。今の利和は、このきっかけがどれほどの力を持つようになるのかを理解していなかった――