「早く薬を飲んでくれよっ!」
「そう慌てるなって。幽体になれば自由に空を飛べるから、信河先生のところなんてあっという間だって」
「でも、先生に乗り移ったら、急いでも三十分以上かかるじゃないか」
「それは仕方ないだろ。電車に乗らなきゃならないんだから」
「だから早く幽体離脱してくれって頼んでるんじゃないか」

 唯人は一刻も早く瑠那に会いたいと思っているようだ。せかされた春樹は、制服のポケットから白い錠剤と紙で出来た赤いお札を取り出すと、唯人に見せた。
「これが幽体離脱できる薬、そして霊が体に入らないように結界を貼る為のお札だ。俺の幽体が体から離れたら、顔に貼り付けてくれ」
「変な呪文のような文字が書いてあるな。ちょっと嘘っぽいけど」
「それを言ったら、この錠剤なんて単なるビタミン剤に見えるぞ」
「まあそうだけど……っていうか、早く飲んでくれって」
「じゃあ、そのベッドに寝てもいいか?」
「いや。俺の部屋じゃなくて親の寝室にしてくれよ。だって、この部屋で信河先生と楽しむんだから。お前の体があったら邪魔だろ」
「それもそうだな。それじゃ、寝室のベッドを借りるよ」
「ああ。それはそうと、春樹の幽体が体から抜け出たっていうのはどうすれば分かるんだ?」
「意識が無くなれば、体から抜け出ている。要は眠っている感じになればいいんだ。叩いたって起きないから」
「なるほど。じゃ、早速寝室に行くか」

 二人は廊下を挟んで向かいにある寝室に入った。クローゼットに鏡台、ダブルベッドが配置されていて、非常にシンプルな部屋だ。
 お札を唯人に手渡した春樹がベッドに仰向けになると、水も飲まずに錠剤を喉に押し込む。

「水、いらないのか?」
「ああ。説明書にはすぐに眠たくなって幽体が体から抜け出るって……」
「そうなんだ。強力な睡眠薬みたいなもんだな。……春樹?」

 錠剤を飲み込み、ほんの十秒ほどだろうか。唯人が返事をしている間に、春樹の顔に表情が無くなった。

「春樹?おい春樹、もう幽体が抜け出たのか?」

 数回頬を叩いてみたが、起きる様子は無かった。どうやら彼の幽体はすでに抜け出ているようだ。唯人は手に持っていた赤いお札を春樹の顔に貼ると、「どうか安らかに眠りたまへ〜」と手を合わせ、自分の部屋に戻った。

「はぁ〜。早く来ないかな」

 家着に着替えてベッドに寝転び、目を瞑った唯人は瞼の裏にこれから起きる素晴らしい出来事を思い描いた。
 学校の先生が家に来るなんて、小学校の家庭訪問以来だ。担任の先生は熟年のオバサンだったが、今でも覚えているくらい唯人の面倒をよく見てくれた。当時は苛められっ子に属していた唯人。苛められている事を先生や親に言えなかったが、先生は全てお見通しだったようだ。

「まずは自分の力で何とかしないさい。苛められるのは、黒山君にも原因があるのよ。どうしても解決出来ないなら先生が助けてあげる。だから、もう少しだけ頑張れる?」

 そう励まされた唯人は、心の中で何か熱いものが湧き上がってくるのを感じた。それからは苛められないよう、堂々とした態度を取るようになった。しばらくすると苛め甲斐が無くなったのか、苛めっ子は唯人を相手にしなくなった。中学に入っても苛められる事は無く、むしろクラスにいる人気者の一人になっていた。
 丁度その頃に知り合ったのが春樹だ。春樹とは妙に気が合い、学力も同程度であったため同じ高校に進学した。そんな春樹が、ある意味アイドルより人気のある信河瑠那先生の体を乗っ取り、家に来るのだ。

「実際に来たら、何から始めようかな。やっぱり白いジャージのズボンを穿いた先生がみたいか。春樹が乗り移っているなら、先生に色んな言葉をしゃべらせる事も出来るよな。あの、ちょっと大人びた声で言って欲しい言葉を何だってしゃべってくれるんだ。春樹に、俺の事が好きだってしゃべってもらおうかな」

 想像するだけで興奮する。そして早く来て欲しいと願う。
 じっとしていられない唯人は気持ちを紛らわせるため、絨毯に散らばっている雑誌や服を片付けた。
 自分では滅多に使わない掃除機を持ち出し、ベッドの下に溜まった埃まで吸い取る。

「よし、もうすぐ来る頃だな。念のために歯磨きもしておくか」

 春樹さえ拒まなければ、瑠那とキスする事だって可能なのだ。唯人は掃除機を片付けると、一階に下りて洗面台の前に立つと歯を磨き始めた。そして、丁度磨き終わった頃、インターホンの音が家に響いた。

「来たっ!」

 慌てて口を拭き、「鍵は開いているから!」と大声で叫びながら玄関に向かうと、そこには紙袋を手に持った瑠那の姿があった。
信河先生2
「よっ!待たせたな」

 ニコリと微笑んだ瑠那が靴を脱ぎ、廊下に足を踏み入れる。

「あ……うん」

 瑠那を目の前にした唯人は、妙に緊張した。普段、よく授業で着ている服を身に纏った瑠那が、「何してたんだ?」と気安く話しかけてくる。そして「二階に上がろうぜ」と男口調でしゃべり、自分の家の様に階段を上がってゆくのだ。

「ま、待って……下さいよ」

 思わず敬語を使ってしまった唯人は、瑠那の後を追って階段を上がった。