PiPiPiPi――。
 枕元に置いていた目覚まし時計のアラームが鳴った。
(う……ううん)
 浅くしか眠れなかった奥治は、手を伸ばして目覚まし時計を止めようとしたのだが、いつもの様に掴めない。
 何度も手を動かすのだが、目覚まし時計どころか何も触れない。
(ううん……)
 相変わらず鳴っているアラームに目を覚ました奥治は、脂肪がたっぷりと付いた体を反転させてうつ伏せになり、目覚まし時計を掴もうとした。
 しかし――。
(……え?あ、あれ?)
 確かに目覚まし時計に手を添えようとしているのだが、触れることが出来ない。
 正確に言うと、時計に手がめり込んでいる。
(は?ど、どうなっているんだ)
 まだ夢の世界かと思いつつ、何度も時計を掴もうとする。
 しかし、どう頑張っても掴むことが出来ないのだ。
 よく考えてみれば体が布団に触る感触もなく、浮いているように感じる。
(……へっ!?)
 ふと俯くと、見慣れた顔が布団でいびきを掻いて寝ていた。
(わっ!な、何だこれっ!)
 驚いた奥治は、慌てて飛び起きた――つもりだった。
(わわわわっ。ど、どうなってるんだよ。俺……浮いてるっ)
 ふわりと宙に浮いた体は半透明で、何故か裸。
 丁度ベッドから一メートルほど浮き上がった状態で、眼下に眠る自分の体を眺めた。
(し、死んだっ!)
 直感的にそう思った。
 きっと寝ている間に息を詰まらせるか、何かが頭に落ちてきて死んだのだと。
 泥棒が入ってきて殺されたのかもしれない。
 しかし、ベッドで横たわる彼はいびきを掻いているのだから、死んだというわけではないらしい。
(どういうことだ……死んでいるわけじゃない?)
 相変わらず目覚まし時計のアラームが鳴っている。
(と、兎に角アラームを止めないと)
 そう思って無意識に降下し、目覚まし時計に触れようとしたが半透明な手は、またもやすり抜けてしまった。
(全然触れない。も、もしかして俺、魂が抜け出てしまったのか?)
 別に霊感が強い訳でもないし、心霊写真が撮れた事もないのだが、どうやら彼の推測どおり体から魂が抜け出てしまったようだ。
(嘘だろ。おいっ!起きろよ俺っ!)
 魂――すなわち幽体となってしまった奥治は、寝ている体を起こそうと肩を揺すってみた。
 不思議なことに、自分の体には触れられる様で、意識のない彼の体はユサユサと揺れた。
(起きろっ!起きろっ!)
 彼は何度も自分の体を揺すった。しかし、魂が抜け出ているせいか、目を覚ますことはなかった。
(くそっ!どうしてこんな事になったんだ。こんな事してちゃ、電車に間に合わないっ)
 頬を叩いたり、つねってみたり。
 幽体になっているにも拘らず、息が上がる思いをしながら必死に起こそうとしたが、やはり意識のない彼の体が起きる事はなかった。
(このままじゃイベントに遅れちゃうよ。誰かに知らせなきゃっ)
 そう思ったが、父親は夜勤の仕事、母親は看護師をしており昨日の夜から帰ってきていない。
 このタイミングが悪い状態に、奥治は本気で焦った。
(で、電話っ!電話して親父に知らせよう)
 ――もちろん、携帯電話を触ることは出来なかった。
 窓の外から日差しが差し込み、夜が明けた事を告げている。
 奥治は綺麗に磨かれたカメラを見ながら、大きく深呼吸して心を落ち着かせた。
(焦るな、焦るな俺っ。焦ったところで何もいい案は浮かばない)
 もう一度深呼吸して俯き、半透明になった自分の体を眺めた。
 むっちりとした三段腹に、短い足。
 申し訳なさげに付いている肉棒が可哀想にさえ思えてくる。
 これでも勃起したらかなり大きくなるのに。
(……じゃなくて、何かいい案を考えなきゃ)
 三度目の深呼吸をした後、ゆっくりと部屋を漂う。
 こうしている間も、時間は刻々と過ぎてゆく。
(体がなきゃ電車にも乗れないし、カメラで写真を撮ることだって出来ない……ん?ちょっと待てよ)
 よく考えてみれば、今は何も触れない状態。
 そしてフワフワと宙に浮いているのだ。
 これなら空を飛んでゆけるのでは無いだろうか。
(……出来るのか?)
 奥治はゆっくりと窓に近づくと、両手を前に突き出してみた。
 案の定、手はガラスの窓をすり抜けて外に出てしまう。
(そうか。物理的な制限を受けないから自由に飛びまわれるんだ。これなら写真は取れないけど、ドームまで飛んで行けるぞ。……でも、今の俺は裸なんだよな。誰かに見られたらマズいか。いや、もしかしたら幽霊みたいに他人には見えないかもしれない)
 窓の外に見える細い道路に、トレーニングウェアを着た中年男性が歩いている。
 おそらく散歩をしているのだろう。
(あの人で試してみるか)
 ゆっくりと体を窓にめり込ませて外に出る。
 いきなり二階から飛び出し、数メートルの高さに浮いてしまったので足が竦む感じがした。
(よし……)
 高いところは怖いので、まずは中庭まで降下し、そのまま中年男性の前に立ってみた。
 恥ずかしいので、股間を両手で隠しながら。
(見えるのか?)
 一瞬、男性と視線が合ったような気がした。
 しかし男性は奥治に気付くことなく、近づいてくる。
(おっと!)
 ぶつかりそうになったので横に移動すると、男性は何事も無かったかのように歩き去ってしまった。
(……やっぱり俺の体は見えないんだ。これってもしかして超ラッキーかも!)
 脳裏に浮かんだイベント会場。
 幽体なら誰にも邪魔されずに優梨子に近づける。
 どのカメラ小僧よりも前に陣取り、彼女の姿を見ることが出来るのだ。
(おっしゃ〜!写真は撮れないけど目の前で優梨子ちゃんを見れるぞっ!目に焼き付けてやるっ)
 先ほどまで落ち込んでいた彼は何処へ行ったのやら。
 今までに無いほど喜ぶ奥治は、地面から数メートルほど浮き上がると勢いよく飛び始めた。
 イベントが行われるドームに向かって。