鈴木は何度も目をこすってもう一度青木の浴衣の中を覗き込んだ。
いくら見ても、その程よく膨らんだ胸は女性の物としか思えない。
どうして女性の胸が青木に?
「そんなに何度も覗き込んだって何も変わらないぞ」
「あ、いや。しかし……」
「部屋に帰ったらゆっくり見せてやるさ」
「…………」
酒の飲みすぎか?
いや、酒を飲む前から青木の手はしなやかな女性の手になっていたのだ。
錯覚したわけではない。
片膝を立ててその上に肘を置き、最後に出てきた料理を食べる青木。
周りを見ながらお猪口に残っていた日本酒を飲み終える。
「そろそろみんな食べ終わったな。今は何時だ」
「え〜と。九時十分前です」
「たしか夕食は九時までだったな。最後の締めをしてくれよ」
「あ、はい」
鈴木は少し足元をふらつかせながら立ち上がると三、四回手を叩いた。
何気なく鈴木の方を向く社員達。
「宴も酣、そろそろ時間です。ここは一旦お開きにして自分達の部屋で楽しんでください。どうもお疲れさん」
一本締めが終わると、社員達はそれぞれの部屋に戻っていく。
男女とも、かなり飲みすぎている社員もいるようで、友人に肩を借りながら広間を出て行く人もいた。
「それじゃ、我々も部屋に戻りましょうか」
「ああ、そうだな」
ゆっくりと立ち上がる青木と肩を並べた鈴木。
「えっ?」
広間に来るまでは、青木の視線は少し高い位置にあったのだが、なぜか今は殆ど変わらない。
「どうしたんだ」
「あ、いえ……」
「はは〜ん、さては俺の背が小さくなったと思ったんだな」
「は、はい……」
「部屋に戻ろうか。全部話してやるよ」
「…………」
鈴木は無言で青木の後をついて行った。
青木の後姿をよく観察してみると、浴衣越しでも男性としては異様に腰が細い事に気付く。
そして肩幅も小さいような気がするし、お尻が優しい丸みを帯びているようだ。
「…………」
今は何も質問しない事にした。
仲居さんが広間の食器を片付け始めた頃、二人は部屋に戻った。
「なかなか美味かったな。ここの料理は」
「そうですね。私は焼き魚が気に入りましたよ」
「ああ、あれは良かった。ちょうどいい塩加減で何もつけずに食べれたしな」
「やはり肉よりも魚の方が好きですよ」
「お前、歳のわりには爺クサイ感覚してるんだな」
「親が漁師をしていたもので」
「そうか。それは知らなかったな」
「親が漁師をしているなんて、ちょっと恥ずかしくてみんなには言ってないんですよ」
「どうして恥ずかしいんだ。別にいいじゃないか、漁師だって立派な職業だろ」
「もちろんです。私は親のことを誇りに思ってますよ」
「それなら何も隠す必要ないだろ。俺の親は海と戦ってるんだって言ってやればいいのさ」
青木はリモコンでテレビをつけ、適当なチャンネルにあわせながら座椅子に腰を下ろした。
「でも、ここの社員の親は大体サラリーマンですから」
「そんなこと関係ないだろ。誰も気にする奴なんかいないさ」
「はあ……」
鈴木は頭をかきながら、テーブルを挟んだ座椅子に腰を下ろした。
「あまり番組が入らないな」
リモコンのボタンを幾つも押しながら、二、三種類しか映らないチャンネルに愚痴る。
「仕方ないですよ。こんな地方にまで電波は届きませんから」
「それもそうか……」
唯一、バラエティ番組が移るチャンネルに設定した青木は、テレビ画面を見ている鈴木に話を始めた。
「おい、鈴木」
「はい」
呼ばれた鈴木は、テレビ画面からの青木の顔に視線を移した。
「俺の身体、どうなったと思う?」
「えっ……」
「率直な意見を言ってみろ」
「はぁ」
青木の顔から視線を落とし、浴衣に包まれた身体をじっと見てみる。
全体的に小さくなった身体。
どう見ても膨らんでいるように見える二つの胸。
テーブルのせいで胸より下は見えないが、その雰囲気からして――。
「まるで、女性の身体のようです」
「……そうか」
青木は座椅子の上に立ち上がると、鈴木は座ったまま青木を見上げた。
「……驚くなよ」
「…………」
細い指で浴衣の紐を外し、畳の上に落とす。
そして、浴衣の前をゆっくりと開きながら、鈴木の表情を見つめた。
徐々に見え始める青木の身体。
それを見た鈴木は――。
「なっ!」
目を見開き、現実的ではない光景に言葉を失う。
浴衣が肩からはずれ、座椅子の背もたれに引っかかった。
青木が鈴木の前で、トランクス1枚の姿になる。
しかし――。
「驚いたか?」
「ぶ、部長……。そ、その身体……」
「信じられないだろ」
「…………」
鈴木の目の前には、明らかに女性の体つきをしている青木の姿があった。
首から下はどう見ても女性の身体。
全体的に白くてつやつやした肌。
程よく膨らんだ胸にほっそりとしたウェスト。
トランクスで見えにくいが、そのウェストから太ももにかけては
女性特有の曲線を描いている。
腰骨のあたりはトランクスが苦しそうに見える。
しかし、股間のふくらみは全く見えず、のっぺりと直線的な感じだ。
そして、トランクスから伸びる細くて綺麗な両足。
「どうした?何か言ってみろ」
「あ、いや……」
「それでは分からないだろ。どんな感じだ、俺の身体は?」
「そ、その……。なんと言うか……」
鈴木はどう答えていいのか分からない。
なぜ青木の身体が女性のように?
「この身体はな、お前もよく知っている女性のものなんだ」
「えっ?」
「お前の部下の身体なんだぞ」
「わ、私の部下?」
「ああ。誰の身体か分かるか?」
「…………」
突然そんなことを言われても、まず目の前にある現実にどう対処していいのか分からない。ほんとに現実なのか?
まさか青木部長、手品なんか出来るのでは?
頭の中で色々なことを考えながら、「女性の身体」を見つめる。
「まあいい。とりあえず話してやるよ。俺の身体の特異体質について」
青木はトランクス1枚のまま座椅子に座りなおした。
上下に優しく揺れる胸。
鈴木はその胸に、釘付けになった。
「去年からなんだ。こんな現象が起こり始めたのは」
テーブルの上に置いてあったタバコを手にとり、口に咥えながらライターで火をつける。
青木は天井に向かって上ってゆく煙に目を細めながら、ゆっくりとした口調で話を始めた。「あれは突然の出来事だった。本当に驚いたよ……」


――昨年の冬、ある日。
青木の家では、一人娘の千代が友達の家に泊まりに行くという事で、妻の友利子の二人だけになった事があった。
たまにしか無い二人きりの時間。
さっさと用事を済ませたあと、久しぶりに二人で風呂に入る。
子供がいるときには恥ずかしくて夫婦ではなかなか入れなかった風呂。
二人は心通わせながらゆっくりと身体を暖めたあと、風呂上りのビールを美味しそうに飲み始めた。
「千代がいないときはゆっくり出来るな」
「そうね、いつもより時間の経つのが遅く感じられるわ」
「本当だな。とても静かだし」
「ええ、でも老後はずっとこんな感じなのかしら。少し寂しい気がするわね」
「それもそうだな。二人きりでずっと過ごす事を考えるとちょっと寂しいか」
「でも、千代なら結婚しても遊びに来てくれるわよ」
「旦那を連れてか?俺はまだ千代が結婚するなんて考えられんな」
「すぐに来るわよ。あなた、そのときは許してやってね。千代が選ぶ男性なんだもの」
「それは分からんさ。この目で確かめない事にはな。おい、ビールもう1本取ってくれ」「ええ」
友利子が椅子から立ち上がり、冷蔵庫にあるビールを取りに歩いて行く。
その途中で、違和感を覚えた友利子が不意に立ち止まり俯いた。
「……えっ?き、きゃああああ!」
そして突然大きな悲鳴を上げたのだ。
「どうしたんだ!」
その叫び声に驚いた青木が、急いで友利子に歩み寄った。
「どうした?」
「あ、あなた……」
友利子はその場にしゃがみ込み、両手で白いガウンごと身体を抱きしめている。
「んんっ?友利子、どうした」
「か……身体が……」
「身体がどうした?」
「わ、私の……身体が……」
「お前の身体がどうしたんだ」
「そんな……」
友利子はそこから口を閉ざしてしまった。
「…………」
一体どうしたんだ?
しゃがみ込んだまま何も話そうとはしない友利子。
訳が分からない青木だったが、今しがた、自分の身体にも何となく違和感を覚えた。
うずくまる友利子を心配しながらも、グレーのガウンを着ている自分の身体を確かめる。ゆっくりとガウンを開いていくと――。
「なっ!?」
青木も言葉を失った。
自分の身体を見ているつもり。
そう、自分の身体を見ているのだ。それなのに。
「む、胸!?」
青木の胸は、まるで女性のように膨らんでいたのだ。
更に目線を下に向けると、くびれたウェストに股間のふくらみが無いトランクス。
「な、なんだこれは……」
青木も何がどうなったのか分からない様子。
ガウンをはだけて立ち尽くす青木の姿を、うずくまっていた友利子が見て驚く。
「あ、あなた。そ、その身体……」
「ど、どうなっているんだ。どうして俺の身体が……」
「あなた。私の身体……」
友利子はゆっくりと立ち上がり、白いガウンを開き始めた。
そこには――。
「お、お前……。そ、その身体」
「どうなっているの?これじゃ、まるで……」
二人はお互いの身体を見つめ、自分の身体も見た。
そう、まるでお互いの身体が入れ替わっているように見える。
「お前の身体、もしかして……」
「あなただって……」
だんだん今の状況を理解し始める。
二人はお互いの奇妙な体つきをじっと眺めている。
「どうして俺の身体がお前の身体に?」
「わ、私だって」
「これ、お前の胸か」
青木は手で大きくなった自分の胸を掴んでみた。
「あんっ!」
友利子はピクンと身体を振るわせ、小さくつぶやいた。
「ど、どうしたんだ?」
「あなたがその胸を触ったら……」
「触ったらどうなんだ?」
青木は胸の突起を摘んでみる。
「んはっ!」
友利子が自分の胸を抱きしめた。
「何やってるんだ」
「あなたがそうやって胸を触ったら私が……」
「お前が?」
「ええ……」
「本当か?俺は何も感じないぞ。ただ胸を触ったとしか……」
青木は指でコリコリと胸の突起を摘んでみる。
「あっ、いやっ!あなたっ。や、やめてっ」
友利子がまたしゃがみ込んで胸を抱きしめる。
「お前……感じているのか?」
「だってあなたが……」
「嘘だろ……こんな事」
入れ替わった身体を触ると、相手にその快感が伝わっている。
でも、自分では「快感」と呼べる刺激は全然起こらない。
「どうしてこんな事に……」
友利子はしゃがんだまま青木を見上げた。
「お、俺だって分からない。どういう事だ」
「私達、本当に身体が入れ替わっちゃたの?」
「身体というか……首から下がな」
「どうなってるのよ、こんな事って」
「そんなこと、俺が聞きたいよ。まさかお前の身体になるなんて」
二人は呆然としながら、どうしてこんな事になったのかを話し合った。
一時間ほど悩んだ結果、二人は一緒のお風呂には行ったことが原因ではないかという予想を立てた。
昨日までと違う行動はそれしか考えられなかったから。
「まさか一緒に風呂に入ったくらいで……」
「だってそれしか考えられないでしょ」
「それはそうだが……」
「それよりどうしたらいいの?私達、このままじゃ……」
「風呂が原因なら、もう一度入りなおそう。そうすれば元に戻るかもしれないしな」
「……ええ」
という事で、二人はもう一度風呂に入りなおした。
しかし、いつまで経っても元に戻る事は無かったのだ。
「なぜだ?これしか考えられないのに」
「あなた。私達、一体どうすればいいの?」
「…………」
二人はこれからの人生、この身体でどうやって生きていこうかという事まで考え始めた。他人に知られるわけには行かない。ましてや娘の千代に知られたら――。


――午前二時。
何の対策案も見出せないまま、疲れた二人は寝室で眠りについてしまった――。


そして朝。
友利子の裏返った高い声で青木は起こされた。
「あなた!ねえっ、あなたってば!起きてよ!」
「う、う〜ん……」
「治ってるのよ、身体が元に戻ってるの!」
「ん〜。な、何!?ほっ、本当か!」
青木はベッドからガバッと起き上がると、自分の身体を確かめた。
「……な、治ってる。治ってるぞ!」
「あなたっ!」
ベッドの上で二人は抱き合って喜んだ。
一時はどうなるかと思ったのだが、その後の二人の体験で、同じ湯(水)に浸かるとお互いの身体(首から下)が入れ替わってしまう事がわかった。そして、一晩寝ると元の身体に戻るのだ。
そして、これは青木の身体に問題があるという事も分かった。
友利子が市民プールに泳ぎに行ったときには、身体の入れ替わりが起こらなかったからだ。
逆に青木はというと――試す勇気がなかった。
この現象、身体が入れ替わった時「快感」だけが相手に伝わるようだ。
普段の行動では殆ど伝わらないのだが、ある種「気持ちいい」と感じる行動を取ると相手に伝わるらしい。でも、自分ではその「快感」を感じる事は出来ない。
「感覚」だけを自分の身体に残し、肉体は相手と入れ替わる、何とも不思議な話。


――話と同時にタバコを吸い終わった青木が灰皿でもみ消した。
「……というわけだ」
「そうなんですか……。部長の身体、そんな体質になってしまったんですね」
「自分が望んだわけじゃない。どういう訳かこんな体質になってしまったんだ」
「…………」
「しかし、この体質は面白いぞ。異性としか入れ替わらないんだからな」
「そうなんですか?」
「ああ。しかも大勢いると、どの女性の身体と入れ替わるのか分からない。例えば老婆の身体かもしれないし、幼い少女の身体かもしれない」
鈴木は少女の身体に青木の頭がついているシーンを想像して、思わず気持ちが悪くなってしまった。
「それなら今日も誰の身体と入れ替わるのか分からなかったんですね」
「そういう事だ。でも、誰の身体と入れ替わったかはもう分かっているんだ」
「それはどうしてですか?」
「先ほどの宴会。あの時に首から下が全て入れ替わってたんだよ。で、この胸に悪戯してみたのさ。反応していたよ、この身体の持ち主は」
「だ、誰なんですか?その身体の持ち主って」
「言っただろ、お前の部下だって」
「私の部下・・・って、もしかして!」
「お前の部下で女性は一人しかいないんだろ」
「まさか……」
「そう、そのまさかだ」
「……白坂君」
「白坂……え〜」
「和葉です。白坂和葉(しらさかかづは)!」
「ああ、そうそう、そんな名前だったな」
「本当に彼女の身体なんですか?」
「そうさ、白坂君は今ごろ私の身体になっているはずだ」
「これが白坂君の身体。でも、白坂君は一体……」
「何してるんだろうな、俺の身体で。友達の前には出れないんじゃないか」
「彼女は他の女子社員三人と仲良しでしたからね。今日も四人で同じ部屋にいるはずですよ」
「そうか。彼女にとってはかわいそうな事をしたな。しかし、わざとじゃないんだから仕方ないか」
「はぁ……」
鈴木は目の前で裸になっている青木の身体をまじまじと見つめていた。
柔らかそうな胸が、青木の動きにあわせて微妙に揺れている。
あれが自分の部下である白坂和葉の胸なのだ。
「触らせてやろうか。白坂君の身体を」
「えっ」
「女性の身体を目の前でじっくり見るのは初めてじゃないのか?」
「そ、それは……そうですけど」
「女性の服や下着は持ってないからな。ストレートで味気が無いかもしれないが、この身体はなかなか良いぞ」
「…………」
「こっちに来てみろ」
「は……はい」
鈴木は言われるがままに青木の隣に移動した。
青木は鈴木の方に身体を向けてあぐらをかいている。
「見てみろ、これが二十代前半の女性の身体だ」
「…………」
鈴木は和葉の身体に吸い込まれそうな思いがした。
女性経験の無い彼にとって、始めてみる若い女性の裸。
いかがわしい店にも行ったことが無かった鈴木にとっては初めての「体験」なのだ。「柔らかいぞ、彼女の胸は」
そう言うと、青木は和葉の手で鈴木の手を掴み、そっと豊かな胸に押し当ててやった。