その日の夜――。
「今日は二人に大事な話があるんだ」
猪田はリビングのソファーに座る規子と由菜を目の前に、俯きながら神妙な趣で話をはじめた。
顔を見合わせたあと猪田を見つめ返した二人は、その表情に嫌な予感を覚えたようだ。
「非常に言いにくくて、なかなか話せなったんだが……」
拳を作った手に汗が滲み出る。
目を合わせようとしなかった猪田が、やっと二人に視線を向けた。
「すまない。俺は大変な過ちを犯してしまったんだ」
「過ちって……」
「ああ……」
父親の威厳が感じられない。
そう思うほど小さく見えた猪田は、志乃理の事を二人に話した――。


「あなた……どうしてそんな事を。浮気なんてする人じゃないと思っていたのに。それに妊娠させるなんて」
「お父さん、不潔だよっ。私やお母さんよりも、その女の人が良くなったって事?」
「いや、そうじゃないんだ」
「今、何を言われても言い訳にしか聞こえないわ」
「……すまん。言い訳をするつもりはないんだ」
「私達と別れたいって事?」
「結果的には……な。でも、決してお前達が嫌いになったわけじゃないんだ。俺がつまらない遊びをしたせいで……」
「友達に言えないよ。お父さんが浮気して子供を作ったから別れたなんて」
「ああ、そうだな。本当に申し訳ない」
「私達、あなたがいなくなったらどうやって生きていけばいいの?」
「もちろん、生活するためのお金は毎月出すつもりなんだ。いや、必ず払うよ」
「お金の問題だけじゃないでしょ。……信じられないわ」
「すまん……」
「ねえお父さん。本当にその女の人が好きなの?」
「好きというか……責任を取らなければならないんだ」
「子供をおろしてもらえばいいじゃない。私がその女の人に言ってあげるよ」
「……いや。お前達にも被害が出るかもしれないからな」
「どういう事?」
「実はな……。もう何度かお前達にも被害が出ているんだ」
「え?ひ、被害って?」
「はぁ〜。実はな……」
猪田は志乃理が規子の体で持ってきた幽体離脱が出来る薬「PPZ−4086」を二人に見せると、これを使って乗り移られていた事を話した。
これを猪田が使い、志乃理に乗り移って子供を作ったという事実だけは秘密にして。
「こ、これで私の体を勝手に使っていたなんて……」
「記憶がなくなったことがあっただろ」
「お、お父さん。もしかして私も……乗り移られてたの?」
「そうだ」
「き、気持ち悪いよ。私の体が勝手に使われてたなんて」
由菜は自分で体を抱きしめた。
規子も体を他人に使われたことが気味悪いのだろうか、顔色が良くない。
「これ以上、お前達に迷惑を掛けられない。だから俺は彼女と……部下の屋河志乃理と結婚する事にしたんだ」
その言葉に、二人はしばらく沈黙していた。
非常に重い空気がリビングに漂っている。
猪田もこれ以上の言葉が見つからないようで、両手を組み頭を垂れたまま目を瞑っていた――。


「私達、もうお終いなのね」
「……すまない規子」
「お父さん……」
「由菜、お父さんはお前の事がとても心配なんだ。だから離れたくない。しかし、俺には選択肢がないんだ。お母さんをしっかりと支えて生きていくんだ。分かったな」
「あなた……」
「明日は日曜日だ。ゆっくりと荷物をまとめるよ」
「えっ!?あ、明日って……」
「屋河は一人暮らししているらしいから、そこでしばらく一緒に住もうと思ってる。さっきも言ったが、お前達に金銭的な負担は掛けないように仕事を頑張るから」
「そんな……。そんなに急でなくても」
「一度決めたことだし。あまり長居をすると気持ちが鈍ってしまうからな」
「お父さん……本当にどうにもならないの?私、お父さんが大好きだから……お母さんはどうなの?もうお父さんと会えなくなっちゃうかもしれないんだよ」
「……でも、お父さんがそう決めたのなら……」
「寂しくないの?私、お父さんが浮気して子供を作ったことはお母さんに対して酷いことだと思う。でも、これで二度とお父さんと暮らせなくなるなんて……私、嫌だよ」
「由菜、今は私達を裏切った事が許せないの。仮に私が許しても、お父さんの意思は変わらないと思うわ。そうでしょ?」
「ああ。俺はこれ以上、お前達に嫌な思いをさせたくないんだ。それに、全く会えないというわけでもないだろうし。多分な」
「お父さん……お父さんっ!」
由菜は猪田に抱きつき、涙を流していた。
そんな娘の頭を優しく撫でた猪田は、溢れ出しそうな涙を必死に堪えたのだった――。