「か……香夏子っ」
「すいません。アイスコーヒーを一つ。いや、二つ」
「はい。かしこまりました」

香夏子は理恵の前にグラスがない事に気づくと、もう一つ追加した。
テーブルを挟んで座った香夏子は、目を丸くしている理恵を見ると「煙草、吸ってもいい?」と話しかけてきた。

「あ……う、うん。ひ、久しぶりだね……」

それがとっさに出た言葉だった。
ショルダーバッグから新しい煙草を取り出した香夏子は、ビニールを剥いて中から一本手に取った。
「灰皿……」
「あっ」

理恵が隣のテーブルにあった灰皿を香夏子の前に置くと、香夏子は持っていたライターで火をつけ、吸い始めた。

「ゴホッ、ゴホッ……」
「だ、大丈夫?」
「これは肺に染みるな」
「煙草なんていつから吸うようになったの?」
「ウウンッ。今さっきから」
「今さっき?」

咳払いした後、少しむせ返りながらも何度か煙草を吸った。

「ふぅ〜」
「……か、香夏子。今日はどうしてここに?」
「色々と話にさ」
「私に?」

ウェイトレスがアイスコーヒーを二つ、テーブルの上に置いた。

「以上でよろしいでしょうか。それではごゆっくり」

お決まりの言葉を口にして去ってゆく。
その間に、理恵はサングラスを外した。

「ねえ香夏子。あの人から話を聞いてここに来たの?」
「そういう事」
「あの人は?その、吹雪……さんは?」
「……目の前に」
「えっ……」
「目の前にいる」

香夏子は自分自身を指差した後、煙草を灰皿においてアイスコーヒーを二口飲んだ。

「目、目の前にいるって……」
「俺が吹雪だ。今、この杉浦香夏子の体に乗り移っているんだ」
「…………」
「全部話してやるよ。この女があんたにやってきた事を」
「か、香夏子?」
「色々と出来るようになったと言っただろ。こうやって他人の体に乗り移るのも、俺の一つの能力なんだ」
「……う、うそ……」
「信じるも信じないもあんたの……。そうだな、いつまでもあんたってのは何だな。理恵さんって呼ぼうか」
「…………」
「理恵さんの勝手って事だ。それにしてもこの女、恐ろしく腹黒いな」
「ほ、本当に……香夏子じゃないの?」
「どっちでも構わないさ。とりあえず教えてやるよ。そのロングスカートの中にあるものの外し方もな」
「えっ!は、外せるのっ?」
「当たり前だろ。この女が付けたんだから」
「か、香夏子……が」
「ああ。まあ順番に話してやるよ。俺はこの女の記憶が読めるんだからな」
「記憶が読める?」
「そうだ。乗り移った体の記憶が読めるのさ。だから小さい頃の思い出やスポーツクラブに入ってからの事。孝彦って男の事。便秘症で一週間に一度しか出ない事や生理痛はそれほど強くない事、何もかも全てだ」

信じられない事を香夏子は口にしている。
雰囲気も、理恵が知っている香夏子とは違う感じがした。
もちろん、しゃべり方なんて似ても似つかない。
吹雪幽二が乗り移っていると言う見方が最も正しかった。

「時間に遅れたのは、この女がちょうどインストラクターをしている最中だったからさ。さすがに途中で終わって抜け出すわけには行かないからな。ブロックが終わった後にすぐ乗り移ってきたんだ。おかげでこの服の中はエアロビのウェアそのままさ」

香夏子が黒いブラウスの襟元を開くと、中にオレンジ色の生地が見えた。おそらく、いつも香夏子が着ているオレンジ色のトップスだろう。と言うことは、ジーンズの下にも黒いスパッツを穿いたままなのかもしれない。

「この女のしてきた事に比べたら途中で抜け出して迷惑かけるくらい、可愛いものかもしれないがな」

理恵は香夏子の……いや、正確に言うと香夏子に乗り移っている幽二の言葉をじっと聞いていた。

「飲まないのか?」
「えっ……あ」
「飲まないのなら俺が飲むぞ。急いでいたから喉が渇いているんだ」
「あ、うん。ど、どうぞ」
「じゃあ遠慮なく。もう一つ頼んでもいいぞ。この女の財布から金を出せばいいんだから」
「そんな。勝手に香夏子のお金を使うなんて」
「お、俺を吹雪幽二って信じるようになってきたか」
「そ、そういうわけじゃ」
「ははは。これならどうだ?」
「え?」
「それじゃ、私がおごってあげるよ」
「えっ!?」
「理恵には色々酷いことをしちゃったからね。コーヒー代くらい安いものよ」
「か、香夏子?」
「何?」
「香夏子なの?」
「違うよ。香夏子の口調を真似しているだけなんだ……どうだ?本人だと勘違いするだろ」
「…………」
「混乱させて悪かったな。過去の記憶を使えば、本人の真似をするくらい簡単だ。この能力を使えば他人として生きていくこともできるのさ」
「……そうやって他人として人生を生きていこうと思わなかったの?」
「俺が俺でなくなってしまう気がして怖いのさ。自分の人生を捨てて他人として生きてゆく。結構大変だと思うぜ。それに、他人の人生を奪うことになるんだ。理恵さんならどうだ?」
「私は……」
「それ以上言わなくてもいいさ。話は逸れたが、そろそろ本題に入ろう。この女の記憶から引き出した情報を全て教えてやるよ」

幽二は香夏子の手を使い、灰皿で灰になりかけていた煙草を消すと、理恵に真実を話し始めた――。