「あ〜あ、また正月が来てしまった……」

 四畳半ほどの小さな部屋。色褪せた黄色い畳。腐った木の窓枠の細い隙間から、冬の冷たい空気が入り込んでくる。
 ガラスにはヒビが入り、そのガラスに付いた露は、また木の枠を濡らして黒い黴を繁殖させている。
 縁の丸い十四インチのテレビは、みかん箱をひっくり返した台の上に置かれており、そのテレビの上にはうっすらと白い埃が積もっていた。

少し湿っている万年床。そして小さなコタツにチャンチャンコを来て身体を丸め、じっとテレビを眺めているのは、今年で浪人三年目の「美乃河 勉」。
 希望する大学に入るためにずっと勉強しているのだが今だ実を結ばない。『親が付けてくれた名前に恥じないように』とは思っていても、現実は厳しいものだった。受験するのは、世の中では「三流大学」と呼ばれている所なのだが……。


 テレビに映る歌番組を見ながら、華やかな世界を羨ましく思う勉。彼としては、別に大学に行かなくてもどこかの企業に就職出来れば構わない。生きて行けるだけのお金さえ稼げればそれでいいのだ。
 ただ彼の両親が、「この不景気、大学に行かなければろくな就職先が見つからない」などと口うるさく言うものだから仕方なく勉強しているだけ。自分から勉強しようと思っていないから、こういう結果になっているのかもしれない。


 大晦日の午後十時半。ポットで温めたお湯をカップラーメン、いや、年越しそばとして食べるカップそばの器に注ぎ込むと、モワッとした湯気が元気の無い蛍光燈へと登ってゆく。勉はカップそばの蓋を閉め、時計を見て時間を計った。今年は実家に戻らないつもりだ。
 戻ったところで「今年こそ絶対合格しろよ」という耳の痛くなるような話ばかりされるからだ。
 去年もそうだった。お節料理が食べられる嬉しさよりも、小言を言われる苦痛の方がどれほど大きかった事か。そんな中に飛び込むより、こうやって一人で正月を過ごす方が楽に決まっているのだ。まあ、一人きりというのは慣れているとはいえ、さみしい話だが。

 三分経った事を確認した勉が、割り箸をパチンと二つに割りカップそばの蓋を開く。今度はおいしそうな汁の香りが付いた湯気が天井へと登っていった。
 カップそばに付いていた唐辛子を入れ、ふぅふぅと息を吹きかけながら熱いそばを一口すする。

「ふぅ〜、上手いな」

 手を横に伸ばし、普段は勿体無くて飲む事の無い発砲酒を小さな冷蔵庫から取り出す。まあ、今年も最後の日なのだから遠慮しなくてもいいか。手に取った発泡酒。爪を引っかけてタブを引っ張ると、プシュッと音を立てて白い泡が飛び出した。

「うわわっ」

 慌てて口につけて泡を吸い取る。唇についた白い泡を舌で舐めると、ゴクゴクと二、三口ほど飲んでコタツの上に置いた。
 湯気の向こうの見えるテレビには華やかな世界が広がっている。非常に広くて明るいステージではアイドル達が奇麗な衣装を身に纏い、その若くて美しく、健康な肉体美を惜しげもなく披露しながら舞い踊っていた。

「俺も芸能界に行きたかったよな。あんなに可愛い女の子達といっしょにいる事が出来るのに」

 就職先が芸能界ならどんなに楽しいだろうか?
 華やかな世界。出演料にCM。お金に不自由するはずがない。きっと親も許してくれるだろう。

「うちの息子、今日もテレビに出てたでしょ!」とか言って自慢していたりして……。

 実は彼には、好きなアイドルがいる。『ツートップ』と言う二人組みアイドルの一人、「摩堂美穂」だ。
 彼女は今年十七歳。勉好み……と言うか、世の若い男性ならばきっと好きなのだろう。当たり前のようにスタイルがよく、歌も上手かった。そしていつも溌剌とした笑顔でテレビに映っている彼女の表情が、勉はとても大好きだった。もちろん、今、放映しているこの番組にも登場している。

「あ、美穂ちゃんだ」

 ちょうどツートップが歌う順番が来たようだ。勉はそばを食べる手を止め、じっとテレビ画面を見つめていた。
 摩堂 美穂とペアを組んでいるのは同い年の「稲津 香奈」。彼女も美穂と同じく可愛かった。でも、ショートカットが好きな勉は、より自分の理想像に近い美穂の方が好きだったのだ。それに美穂には香奈よりも健康的な感じがする。汗が似合う女性というか、弾けそうな感じというか……。
 そういう意味で香奈よりも美穂が好きだった。テレビ画面の映る二人は、全く緊張する様子もなく楽しそうに歌っている。歌に合わせて激しく踊る彼女達に、勉はしばし酔いしれた。

「いいよなぁ、美穂ちゃん。あの子と一緒にいる事が出来たらどれだけ楽しいだろう」

 またそばをすする。勉は彼女達の出番が終わると、発砲酒を飲みながらごそごそと狭い押し入れの下を探し、ツートップの写真が載っている雑誌の切れ端を取り出した。
 何度も何度も見て、皺が寄った写真をじっと眺める。黄色いビキニ姿で勉に微笑みかける二人。右に写っている美穂を見ながら、ニコッと微笑みかけた。

「美穂ちゃん、好きだよ。その笑顔がたまらないよ」

 オタクのような雰囲気を漂わせた勉は、年が変わる前にそばを食べ終えると飲みかけの発砲酒を一気に飲み干し、皺くちゃになった布団の中に潜り込んだ。

「美穂ちゃん……」

 左手に雑誌の切り抜きを、右手にはムスコを。
 勉は今年最後の仕事を終えると、テレビも消さないまま深い眠りについた。