過去作品を掲載します。



作:Tira
絵:あさぎりさん



「もうわしの体もそろそろダメじゃろ……」

吉原 麻衛門(よしはら あさえもん)は入れ歯を取り、皺くちゃになった顔でそう呟いた。
今年で88歳になった麻衛門は研究者だ。
18歳の頃から若返りの薬を研究してすでに70年。
これまで色々な方法を試してきたが、若返る薬は完成しなかった。
しかし、是が非でも完成させたい若返りの薬。
これさえ出来れば、寿命などと言う概念は皆無となるのだ。
いつまでも若々しい自分でいたいと願う人たちはどれだけいるだろう。
自分のためではない。
そういう人たちのために、この研究を続けてきたのだ。
もちろんこれから先もずっと続ける。
そう思っていたのだが、足腰も弱くなり、病気がちになった麻衛門には
もう研究するだけの力は残っていなかった。

「……この体も、もってあと半年ほどか……」

医者にそう告げられた。
しかし、ここで終わるわけには行かないのだ。

「ぬぅ〜。何とかせねば……」

そう思い、親しい研究者へ相談する。
その研究者の名前は浅田 菊座衛門(あさだ きくざえもん)。
麻衛門と同じ88歳だ。
彼は脳外科医で、脳に関する手術を数え切れないほど手がけてきた。
20年以上前に現場を離れているのだが、その後も一人、脳に関する研究を行っており、麻衛門とは古い付き合い、良き友であった。
麻衛門は、フルフルと震える手で受話器を取ると、なかなか押すことの出来ないボタンを何とか押して菊座衛門に電話をした。

プルプルプル……プルプルプル……ガチャ

「もしもし……わしじゃ、菊座衛門か?」
「おお、麻衛門か。元気にしていたか?」
「……もしもし?」
「なんじゃ?」
「菊座衛門はおらんのか?」
「だからわしが菊座衛門じゃ」
「嘘をつけ、菊座衛門がそんなに若い声のはずがないじゃろ」
「ふはははは。そうかそうか。すっかりいつもの調子で話してしまったわい。実はな、わしは前の体を捨てたんじゃよ」
「ぬっ……それはどういうことじゃ」
「脳移植じゃよ。やっと脳移植の方法が完成したんじゃ」
「な、なんと!」
「今は20歳の若い男の体になっておるんじゃ。よいぞぉ、この体は。力がみなぎって有り余るほどじゃ。背も180センチあるからのう」
「ぬぬぬっ!そ、それは本当の話か!?脳移植と言うのは、本当の話なのか!」
「おぬしも疑い深いよのう。自分の目で確かめに来るがよい」
「言われなくてもそうするわいっ!」

麻衛門はフルフルと震える手で受話器を置くと、急いで菊座衛門のいる研究所へ向かった。

「タクシーの運転手よ。もっと早くならんのか」
「お客さん、そりゃぁ無理ですぜ。これだけ渋滞しているのに、どうしろって言うんですか」
「ぬぬぬ……時間が惜しい……」
「そんなに急いでいるなら、歩いていけばどうですかい?」
「老骨に鞭打って歩けと言うのか」
「それが嫌なら黙っていてくだせえ」
「……ぬぬぬ……」

いつもなら30分も掛からないところが、渋滞のせいで2時間も掛かってしまった。
割高なタクシー料金を払うと、麻衛門はフルフルと震える足で大きな研究所の門をくぐり、菊座衛門のいる研究室へと歩いていった。

「待たせたっ!菊座衛門はいるのか!」

研究室のドアを開け、大きな声で叫んだ麻衛門。
そこには、白いTシャツに青いジーンズを穿き、真っ黒に日焼けした若い男性が立っていた。

「おお、やっときたか麻衛門。待っておったぞ」

その若い男性が笑顔で答える。

「ぬぬっ、おぬし……菊座衛門なのか?」
「そうじゃ、まさしくわしが菊座衛門じゃ」
「……ほ、ほんとうに……おぬしが?」
「そうじゃ、いかにもわしが菊座衛門じゃ」
「う、嘘じゃあるまいな」
「嘘などついておらんわい。わしが菊座衛門じゃ」
「最後の確認じゃ。おぬしが菊座衛門というのなら、わしと交わした暗号を言ってみろ。『山手線は』……」
「うむ。『痴漢が多い』じゃろ」
「……ぬぬぬ……信じるしかあるまい。本当に脳移植は成功したんじゃな」
「電話でも話したじゃろ。わしがおぬしに嘘をついたことがあるか?」
「ぬぬぬ……ないのう」
「じゃろ」
「…………」

目の前にいる若い男性は、菊座衛門のようだ。
菊座衛門は、脳移植に成功したと言うことか。

「のう麻衛門。おぬしの若返りの薬はまだ出来ておらんのじゃろ」
「そのとおりじゃ。しかし、もうわしの寿命も短い……あと半世紀ほどあれば、必ずや完成させたものを……」
「半世紀か。それならちょうどよい……」
「何がじゃ?」
「麻衛門、こっちへ来い」
「ぬぬぬ……」

菊座衛門は、麻衛門を研究室の奥にある隠し部屋へ案内した。
若い肉体を手に入れた菊座衛門に歩幅を合わす事が出来ない麻衛門は、ヒィヒィと息を切らせながら必死に後をついていった。

「これがわしの開発した脳移植装置『すきっと爽快クン』じゃ。ん?麻衛門、麻衛門はどこじゃ」
「ヒィ、ヒィ……お、おぬし……わしを置いていくではない」
「おお、すまぬすまぬ。おぬしの歩幅を考えていなかったようじゃな」
「ほんの少し前までは同じだったくせに……ぬぬぬ……」

胸を押さえながらやっとの思いで追いついた麻衛門は、
隠し部屋の中にある2つのカプセルを見て、「ぬぬぬ」と呟いた。

「もう一度言おう。これがわしの開発した脳移植装置『すきっと爽快クン』じゃ」
「ぬぬ……すきっと爽快クンとな……」
「そうじゃ。このカプセルの中に二人ではいると、自動的に脳移植をすることが出来るのじゃ」
「なんともハイカラな機械じゃのう……」
「おぬし、先ほどあと半世紀あれば若返りの薬を作れると言っておったのう」
「そうじゃ、あと半世紀もあれば……」
「このカプセルの中を見てみい」
「ぬぬ……」

麻衛門は、奥にあるカプセルの中を覗き込んだ。

「ぬっ……これは……若いオナゴではないか」
「そうじゃ、わしが脳移植する時に、この男か、そのオナゴのどちらかの体になろうと思っておったのじゃ」
「ぬぅ〜、おい菊座衛門。そういえば、このオナゴもその若い男の体も、どうやって手に入れたんじゃ?」
「……それは聞かぬほうがよいぞ」
「ぬぬ……そうか、それなら無理には聞くまいて」
「麻衛門よ。おぬし、このオナゴの体を使ってもよいぞ」
「ぬ……おぬし、今なんと言った?」
「このオナゴの体を、おぬしの体として使ってもよいぞと言ったのじゃ。脳移植をして、おぬしがこのオナゴになると言うことじゃよ」
「な、なんと!ではわしはこのオナゴの体で研究を続けられると言うことか!」
「そのとおりじゃ。このオナゴの体は、このまま眠らせておいても1週間で腐り始めるじゃろ。どの道使えぬ体じゃ。それならおぬしが有効利用するのもよかろう」
「ほ、本当にそれが出来るのか!?」
「わしを信じるならのう……」
「ぬぬぬぅ……」

麻衛門はもう一度カプセルの中を覗き込んだ。
目を瞑り、眠るようにしている少女。
多分、高校生くらいの年齢だろう。
この若いオナゴの体になり、思い切り研究が出来るのだ。

「よ、よし。おぬしを信じるぞ。わしはおぬしを信じるぞ」
「そうか、それなら脳移植をしてやろう。もう一つのカプセルに入るがよい」
「うむ……」

麻衛門は、隣にあるカプセルの入ると、ゆっくりと仰向けになって寝転んだ。

「手術は約30分で終わる。まあ、麻酔で時間なぞ分からんじゃろうがな。
次に目覚めた時は、隣のカプセルに入っているオナゴになっておるはずじゃ」
「そうか。おぬしを信じておるぞ」
「任せておけ、親友よ」

そう言うと、菊座衛門はボタンを押して麻衛門が寝ているカプセルに、
円形のガラスカバーをした。
すると、「シューッ」という音が鳴り、カプセル内に麻酔ガスが充満する。

「これでわしも研究が続けられるのか……」

遠のく意識の中、麻衛門は若い男になった菊座衛門を見ながら深い眠りについた。


そして、約30分後――





プシューという音と共に、2つの円形のガラスカバーが開いた。


「麻衛門、麻衛門よ。目を覚ますがよい」
「ぬ……ぬぬぅ……」

ゆっくりと目を開いた麻衛門。
まだ視界がぼやけているが、しばらくするとはっきりと見え始め、
菊座衛門がこちらを見ているのが分かった。
まだやらねばならんのじゃよ
「……菊座衛門……ぬぬっ!」

麻衛門は自分のしゃべった声に驚いた様子。

「ゆっくりと体を起こすがよい」
「ぬ……」

菊座衛門に言われたとおり、ゆっくりと上半身を起こす。
すると、耳の横にライトグレーの髪がふぁさっと落ちてきた。

「ぬっ……少々頭が痛いのう」
「まだ手術が終わったばかりだからのう。1週間もすれば痛みも取れるわい」
「そうか。ぬ……これが今までのわし」



麻衛門は頭を押さえながら隣のカプセルで眠っている自分の姿を見た。


「そうじゃ、元のおぬしの体には、そのオナゴの脳が入っておる。しかし、麻酔で眠らせた状態にしておるからずっと起きんじゃろうて。そして、しばらくすれば腐って朽ち果てる……」
「ぬぅ……そしてこのオナゴの体が……わしなんじゃな」

麻衛門は俯いて、自分の体を見た。
白い薄手の服に身を包んだその体。
2つの胸が、女性であることを強調している。
麻衛門は、その2つの胸を両手で触ってみた。

「ほほう。おい、菊座衛門。見てみろ、わしの体にこんなものが付いておるぞ」
「それはそうじゃ。オナゴの体なのだからのう」
「ほれ、この肌を見てみぃ。なんと美しい肌じゃ。ぬぬぬ……本当にこれがわしの物になったんじゃな」
「そのオナゴの名前は塩田 菜穂美(しおだ なほみ)というんじゃ。わしのこの体は塩田 勇次郎。二人は兄妹だったんじゃよ」
「ぬぬ……となると、おぬしとわしは親友の仲から、兄妹の仲になったということか」
「そのとおりじゃ。これからわしの事を『お兄ちゃん』と呼ぶがよい」
「ぬぬぬ……そう言われてものう」
「おぬしは菜穂美になったんじゃぞ。いつまでも『ぬぬぬ』と言っていてはおかしいじゃろ。しっかりと女言葉を練習せねばなるまいな」
「それを言うならおぬしもじゃぞ。そんな若い男が、『わし』じゃの、『のう』じゃの、言うはずがなかろう」
「……それもそうじゃな、菜穂美よ」
「ぬぬぬ……」

こうして菊座衛門と麻衛門は塩田勇次郎と塩田菜穂美と名乗り、共に協力し合い、若返りの研究を続けることになった。
言葉の勉強をしつつ――。



「ねえお兄ちゃん、この成分はもう少し多く入れたほうがいいよ」
「そうか菜穂美。それじゃあこっちの成分は?」
「そうね、それはあと2mlだけ入れてくれる?」
「よし、分かったよ」
「……こんな感じでよいのか?」
「そうじゃのう。これなら誰も気づくことはないじゃろ。もともと88歳の老人だとは」
「ぬぬぬ……」
「ほれ、また『ぬぬぬ』が出たぞい」
「あ、ごめんね、お兄ちゃん」
「ああ、構わないよ。それじゃあもう少し続けようか」
「うん……きゃっ!お兄ちゃんたら変なところ触らないでよ」
「いいじゃん。別に」
「ダメだって……んっ……あっ……」
「菜穂美の胸って柔らかいよな」
「あっ……ダメだよ……えっ!そ、そこは……あ、あんっ……そ、そんな……直接だなんて……」
「ほら、もうこんなになってる」
「ぬぬぬ……」
「ぬぬぬじゃないってさ」
「……むぅ〜」





まだやらねばならんのじゃよ……おわり