「昨日の夜は酷い頭痛がしてさ。ずっと布団の中でうなされていたんだ。で、どのくらいかした時にフッと体が軽くなって……びっくりしたよ。目を開けたら自分の身体が浮いているんだから。そして足元には寝ている俺がいるだろ。ピンと来たね。これってきっと志郎と同じ、幽体離脱なんだって。それで早速試してみたって事」
「試したって憑依を?だ、誰に?」
「もちろん有紗にだよ。お前、結婚する前に有紗に乗り移っただろ。あの時、こんな風に感じていたんだなって思ったよ。本当にお前ってうらやましいヤツだよな」
「お、お前だって同じようにやってるじゃないか」
「そうさ。俺もこれからはどんな女性にだって憑依できるんだ」

裕紀に乗り移っている博和は、本当に嬉しそうな表情をしていた。
信じがたいが、自分に出来る事を博和ができないとはいえない。
それに、目の前の現実が物語っているのだ。

「すごいよな、幽体離脱って。こうやって簡単に他人の体を操れるんだから」

そう言いながら、裕紀は目の前でほっそりとした手を何度も何度も握ったり開いたりした。

「どうして博和まで出来るようになったんだろう」
「さあな。それは俺が聞きたいよ」
「大学で俺と一緒にいた事が原因かな」
「さあ。別に原因は何でもいいんだ。頭痛も治ったし……こうやって今を楽しむことが出来ればさ」
「…………」

博和は裕紀の目でじっと志郎を見つめた。
当たり前だが、何処から見ても博和には見えない。
きっと博和も志郎が女性に憑依していたときは同じ事を思っていたに違いない。
そんな事を考えていた。

「で、どうするんだ?」
「本当はこの体で志郎とセックスしてみたいんだけどさ。今日は遅いからやめとくよ」
「……そんな事まで考えていたのか」
「昨日から女になって男とセックスしたいって思ってたんだけどさ、それよりももっと楽しいことが出来るって考えたんだ」
「楽しいこと?」
「そう。つまり、女性同士でセックスするって事だよ」
「女性同士……レズセックスってやつか」
「ああ。志郎も興味あるだろ」
「……まあ、ないとは言わないけどさ」
「最近は女性に憑依してるのか?」
「いや、あまりしてないな。一時期ずっとハマッてたから、その反動かもしれない」
「へぇ〜。それって女性の体に飽きたって事か?」
「う〜ん、別に飽きたって訳じゃないけど微妙だな。それに仕事をやりだしてから気力が萎えてるし」
「何言ってんだよ、まだ若いのに。それに結婚していないお前がそんな事言ってたら、いつまで経っても結婚なんて出来ないぜ」
「結婚するのと憑依に飽きる事は全然違うと思うけど」
「兎に角だ。今のワンパターンな生活を止めて昔のように楽しもう。そうだろっ!」
「……そうだな。最近は仕事のことばかり考えていたからな」
「じゃあさ志郎。明日有給休暇を取れよ」
「あ、明日!?明日はなぁ……」
「何か大事な会議でもあるのか?」
「いや、別にないけど」
「それなら構わないだろ」
「まあ……な」
「よし、決まりだ。じゃあ明日は幽体になってここの駅前に待ち合わせだ。いいだろ」
「博和も有給を取るのか?」
「いや、明日は元々休みになってるから」
「なんだ。ずるい奴」
「それをいうな。ほら、揉ませてやるから」
「自分の胸じゃないのに」
「いいから。ほらっ」

背筋を正し、裕紀の胸を張り出した博和。
志郎は、誰も見ていないことを確認すると、片手でブラウスの上から胸を揉んでみた。

「久しぶりだな。女性の胸を触るの」
「へぇ〜。胸を揉まれるのってこんな感じなんだ。何か気持ちいいな。自分で揉むのとはまた違った感じだ」

しばらく裕紀の胸の柔らかさを味わった志郎は、そっと胸から手を離した。

「でも、有紗さんと赤ちゃんはどうするんだ?休みなら家族サービスしなければならないだろ」
「大丈夫。明日は実家に帰るんだってさ」
「お前は一緒に行かないのか?」
「仕事を持ち帰るから行けないって言ってある」
「なるほど。すでに俺がOKするって考えてたのか」
「そういうわけじゃないさ。もし志郎に断られても、俺一人で適当な女性に憑依して楽しもうと思っていただけだから」
「あっそ」
「そんなわけで、そうだな。明日は十時くらいでどうだ?」
「構わないけど」
「じゃあそういう事で。この体を返してくるよ」
「その裕紀っていう女性、急いでたんじゃないのか?」
「ああ。駅から走って出てきたところを憑依したからな」
「知らないぞ」
「よく言うよ。昔はそんな事、全く気にせずに憑依していたくせに」
「…………」

博和は笑いながらジャケットを着ると、裕紀の体を立ち上がらせた。
そして、志郎に軽くウィンクをした後、軽やかな足取りで店を出て行った。

「……あいつ、妙に明るくなったな。憑依出来るようになったからか……」

しばらくすると、テーブルに伏せていた博和がムクッと起き上がった。

「はぁ……ただいま」
「おかえり。どうだった?」
「慌てふためいていたよ。そりゃそうだろうな。三十分近く時間が過ぎているんだから」
「だろうな」
「じゃあ俺達も帰ろうか。ここは俺が払うよ」
「三人分?」
「ああ」
「じゃあよろしく……っていうか、お互いの幽体って見えるだろうか?」
「そりゃ見えるだろ。人間同士は見えるんだから、幽体同士も見えるんだって」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」

こうして志郎と博和は喫茶店を後にし、互いの帰路に着いた――。