琢次郎の体が女性の中に消えた。
ビクッ、ビクッと体を震わせて硬直していた彼女だが、すぐに体の力が抜けたようだ。
そして、「ふぅ〜」と大きく息を吐いた後、くるりと体を反転させて久美に座っている前に歩いてきた。

「も、もしかして……琢次郎?」

目の前に立っている女性を見上げて、久美は呟いた。
すると女性はにっこりと笑って、コクンと頷いたのだ。

「……憑依……したんだ」
「うん。今は彼女の体、完全に俺が支配してる。やっぱり彼女、すごく感じてたみたいだな。下半身が熱くなって疼いている」

そう言って、タイトスカートの上から下腹部を撫でた。
その左手の薬指には、プラチナの指輪が光っていた。

「……信じられない……」
「誰も信じてくれなかったよ。俺がこうやって他人の体に憑依して話しかけても。幽霊の状態だと逃げてゆくし、こうやって生身の人間に憑依して話しかけたところで、俺の存在を信じてくれない。とても寂しかったよ」
「…………」

琢次郎に憑依された女性は、本当に寂しそうな表情で話している。

「……あ、あの。今ってその女性の意識って……」
「ああ、俺が無理矢理眠らせてる。別に眠せないで体を共有する事も出来るけどね。と言っても、俺が体を動かすのを見ているだけなんだけど」
「ふ、ふ〜ん」
「俺、もし新井川かほりに憑依できたら、あいつの意識を残したまま階段から落ちてやろうと思ってるんだ。体を勝手に動かされて、自ら階段を転げ落ちる恐怖を味あわせてやるために」
「…………」

久美はその言葉に、どう返事をすればよいか戸惑った。
しばらく会話の無い時間が過ぎ、到着した駅。
数人の乗客が降りると、久美の隣が空いた。
その席に無言で座り、ショルダーバッグをタイトスカートの上に乗せた琢次郎。
部活帰りの久美とは違い、琢次郎が憑依している女性からは香水か、あるいはシャンプーの香りがほのかに漂ってくる。

「ごめんな久美ちゃん。嬉しくてちょっと調子に乗りすぎたな。それに嫌な話もしたし」

琢次郎は女性の顔で、そして女性の声で話しかけてきた。

「……ううん。琢次郎が寂しかったの、分かるから。色々な幽霊、見てきてるし」
「……ありがとう。俺、今日みたいな日が訪れるの、ずっと待ってたんだ」
「…………」
「久美ちゃん」
「……何?」
「しばらくの間、久美ちゃんにとり憑いてもいいかな?」
「…………」
「俺が新井川かほりに復讐できるまで。それまでの間だけ」
「……いつ復讐するの?」
「……分からない。でも出来るだけ早く」
「……そっか……うん。いいよ」
「え?」
「いいよ、私にとり憑いても」
「ほ、ほんとに?ほんとにいいのかい?」

女性の表情がパッと明るくなる。
そして、琢次郎は久美の手を取ると、何度も何度も握り締めた。

「ありがとう、久美ちゃん!」
「は、恥ずかしいじゃないの」
「えっ。あ……ご、ごめん」

傍からは、女性が嬉しそうに久美の手を握り締めてお礼を言っているように見える。
女性のまま、コホンと軽く咳払いをした琢次郎は、「じゃあこの女性から離れるよ」
そう言って、ヌッと女性の体から出てきた。
ピクンと震えて目を覚ました女性は琢次郎が憑依していた間の記憶が無い様で、どうして席に座っているのか分からない様子。

(あまり恥ずかしい事はしないでよ)
「ああ。極力そうするよ」

琢次郎はにっこり笑うと、座っている久美の後ろに背後霊の様に漂った――