廊下をすれ違う社員たちは、不思議そうな顔で走ってゆく浩美を見ていた。
女子トイレの個室に駆け込み、泣き崩れる。

「ヒック、ヒック……」

よほどつらかったのだろうか?
浩美は10分ほど泣き続けていた。
体を弄る手や舌の感覚は依然として続いているが、精神的に傷つけられた浩美はこの状況で意識しなかった。
フタのされている様式便座に座り込み、ショルダーバッグのポケットに入っていたティッシュで涙と鼻水をふき取る。

「どうしてあんなひどい事を……」

ニヤニヤ笑っている宮崎の顔。
そして、他の社員たちの冷やかすような眼差しやいやらしい笑み。
それらを思い浮かべると、悲しみと悔しさが同時に込み上げて来た。

「悔しい……絶対に許せないわ。訴えてやる。セクハラで訴えてやるわ!」

そう決意した浩美は、ショルダーバッグに入れていた下着を身に着けた。
ナプキンも新しい物に張り替える。

「宮崎係長……きっと私が先に課長に昇進したから嫌がらせをしているんだわ」

そう呟いた浩美。
もしかしたら、今も乳房を弄ぶ「見えない手」も宮崎の仕業かもしれない。
そんな風に思えてきた。

「どうやっているのかは分からないけど、きっとこれも……」

確信は無く、単に浩美が思いこんでいるだけなのだが、そう考えると更に怒りが込み上げて来た。
あの宮崎に体を弄られていると想像すると、気持ち悪くて仕方が無い。
かといって、見えない手を払おうとしても掴めない。

「気持ち悪い……」

ふと腕時計を見ると、思ったより時間が経っている。
得意先に出向かなければならないのだが……

「…………」

浩美は携帯電話を取り出すと、宮崎の外線電話にかけた。

「もしもし。○○会社ですが」
「宮崎ね」
「その声は吉原課長ですか」
「そうよ」

浩美は、初めて宮崎係長のことを「宮崎」と呼び捨てた。

「大丈夫ですか?今どこにいるんですか?」
「そんな事、宮崎には関係ないわ。それよりも今日、私が得意先に行く予定だったの、知ってるわよね」
「え、ええ。もちろん。私もそれくらいのスケジュールは管理していますよ」
「私の代わりに宮崎が行って」
「ええっ?私がですか?し、しかし私はやらなければならない事が」
「命令よ」
「えっ……」
「命令だと言ったの。分からない?」
「い、いえ……それは……」
「課長の命令なんだから従いなさい。ちゃんと契約の話をしてくるのよ。分かった?私は気分が悪いから今日は早退するわ」
「…………」
「分かった?宮崎っ」
「……わ、分かりましたよ。じゃあ私が行って来ます」
「ヘマしたら減給にするからね」
「げ、減給って……わ、分かりました」
「じゃ、よろしく」

そういうと、浩美は電話を切った。
電源も切って通じないようにするとトイレの鏡で身なりをチェックし、会社を後にしたのだった――