新婚生活を営む優紀子に訪れた奇妙な出来事。幸せだった彼女の生活が、ある日を境に一転する――。 ダークなTSF憑依作品になりますので、ご興味のある方のみお読みいただければ幸いです。
もう一度書きますが、ダークなTSF作品となります。
 無言で歩き始めて十五分ほどした頃、住宅街の一角にある三階建ての小さなアパートに辿り着いた。すでに周囲は暗く、見上げるといくつかの星が小さく瞬いている。体を操る何者かによってコンクリートの階段を上がらされ、二階の最も奥の扉まで歩いた優紀子は、グレーの鉄製扉を数回ノックした。
 金属の鈍い音だ。その後、部屋の中から「はい」と女性の声が聞こえ、鍵を外す音がした。

「おかえり。ああ、そのままの姿で来たんだ」
「何か期待してたのか?」
「別に〜。ボンテージ姿なんかで現れるかと思ってね」
「面倒になるのは嫌だからな。ま、痴漢には体を弄らせてやったよ。それより、買ってきたのか?」
「うん。ぶっといの、買っておいたから。その方が良かったんでしょ?」
「ああ。楽しみだな」

 少し重量感のある扉から現れたのは、腰まである髪を黄色く染めた若い女だった。大学生くらいだろうか、釣り目がメイクのせいで尚更釣り上がって見える。赤い口紅が際立つ彼女は、細身を白いTシャツとジーンズで包んだラフな格好で、食事もまともに取っていない様な不健康なイメージを持っていた。典型的な「ケバイ女」だ。
 軽く会話を済ませた優紀子は玄関でパンプスを脱ぐと、短い廊下を歩かされ、右側にある開いた扉を覗き込んだ。

「俺の体、見たいか?」
(……あれがあなたの体なの?)
「ああ、お前に乗り移っている男の正体さ」

 四畳半ほどあるフローリングの部屋にベッドが置かれており、服を着た男性が仰向けに横たわっている様に見えるが、薄暗い中では良く分からない。

「何だ、もう見せるんだ?」
「いいだろ」
「別にいいけど。もっと焦らすのかと思っただけだし」

 後ろから付いて来ていた女性と背中越しに話した後、ゆっくりと前に進む。そしてベッドの横に立つと、女性が無言で電気をつけた。一瞬、眩しさを感じつつも、強制的に男性の顔を見せられる。茶色に染めた短い髪に、生気のない白い顔は、死んでいるのではないかとさえ思えた。

「大丈夫さ、生きている。魂が抜けているからこんな風に見えるんだ。この顔、見覚えないか?」
(…………)

 優紀子は男性の顔を見せられたまま、無言で考えた。目元にある小さな黒子と少し太めの唇。どこか懐かしい雰囲気を感じた彼女は、一人の男性の名前を挙げた。

(……も、もしかして……竹内君)
「へぇ〜、ぜんぜん会っていなかったのに分かるのか。大したもんだな」
(竹内君なの? 本当に……)
「そうさ、竹内だ。覚えててくれて嬉しいよ」
(私の体に乗り移っているの、竹内君……)
「あれから十年以上経つか。ま、俺はずっとお前の事を見ていたけどな」
(ど、どういう事?)
「どういう事って、それは俺が聞きてぇよ。どうして返事をくれなかったのさ」
(えっ? な、何よ……それ)
「忘れたって言うのか? それとも覚えていて、わざと言っているのか?」
(……な、何言ってるのか分からない……)
「じゃ、忘れたって事だな。こうして乗り移っている間はお前の記憶を盗み見ることが出来るけど、さすがに小学校の頃の記憶まで辿る事は出来ないからさ。少しは期待していたんだが、お前がそういうなら仕方ないか」

 竹内は優紀子の体をベッドに座らせると、細い手で反応のない白い顔を撫でた。

「俺、マジでずっと待ってたんだぜ。優紀子が返事をしてくれるの」
(へ、返事って何?)
「小学校を卒業した日、告白しただろ」
(えっ?)

 竹内に告白されたなんて初耳だと思った。卒業式が始まる前の教室の中、卒業式の最中。そして式が終わり、仲良しの女友達と一緒に写真を撮ってもらった事。必死に卒業日を思い出すが、記憶の中に告白されたシーンは残されていない。

「正門の前だよ、正門。ちょうど女友達三人と帰ろうとしていたとき、お前に手紙を渡しただろ。これ、絶対読んでくれって」
(て、手紙?)
「そうさ。お前は一言、うんと返事をした後、女友達と楽しそうに帰っていった。俺はその後姿をずっと見つめていたんだ。きっと手紙に書いた告白の返事をくれるだろうって。そして大人になったら結婚してくれるだろう……ってな」
(そ、そんな。私、あの時……)

 そう言われれば、何となくそんな事があったような気がする。しかし、手紙をもらった事など覚えていなかった。確か、あの時は友達と――そう、母親と一緒に帰ったはずだ。

(そうだわ。あの時は光子ちゃん達と正門で集まって、お母さんも一緒に帰ったんだ)
「ああ、確かに母親も一緒にいた。お前の母親、俺のことを何度も振り返って見てた。あの目が妙に嫌だったことを今でも覚えている」
(お母さんが……)
「そんな事はどうでもいいんだ。要は、お前は手紙を受け取った事すら覚えてないんだな。そしてその内容も全く記憶にないと」
(だ、だって……竹内君から手紙なんて……)

 受け取っていないと言い掛けた時、おぼろげに記憶が蘇ってきた。確か母親から預かると言われ、何かを手渡したような気がする。それが竹内からの手紙だったのかもしれない。ただ、あの時は卒業式後で気分が高揚しており、友達と中学の制服について熱く語っていたため、気にも留めていなかった竹内の手紙の事などすっかり忘れてしまっていたのだろう。

「……へぇ〜。そういう事か」

 彼女が心の中で呟いた事を直接知った竹内は、静かに頷いた。

「母親は俺を良い様に思ってなかったみたいだから、お前の記憶から抜け落ちた手紙の事、わざと話さなかったんだな。勝手に手紙の内容を見て、尚更渡すわけにはいかないと思ったか」
(ま、待ってよ。お母さんはそんな事しないわ)
「勉強も出来ない、スポーツも出来ない。何か目立つ事をするわけでもなく、地味で暗い雰囲気の俺を、大事な娘と付き合わそうなんて思わなかったんじゃねぇの? 大事な一人娘をこんな訳の分からない子に取られてたまるかってさ」
(そ、そんな……)
「お前だって、俺の事を何とも思ってなかったんだろ。渡された手紙を忘れるってのは、そういう事さ」
(……ご、ごめんなさい。でも……)
「じゃあさ、改めて告白するよ。俺、優紀子の事が好きなんだ。だから俺と結婚してくれ」
(それは……出来ないわ。だって私、結婚したから……)
「結婚したからじゃなくて、俺が好きじゃないって事だろ。好きなら結婚していても俺に付いて来てくれるはずだからな。まあいい、今更結婚しろなんて本心じゃないからな。その代わり……俺は十年以上、ずっとお前が返事をくれるのを待っていたんだ。返事をくれるまで待ち続けると、手紙に書いたんだ。そして、その手紙を勇気を振り絞ってお前に直接渡した。あの手紙を書くのに、どれだけ苦労した事か。馬鹿な俺だから、たった三行書くのに一週間も掛かったんだぞ。そして、好きな人に直接手紙を渡すという行為がどれほど大変な事だったか。この失われた時間と傷ついた心の代償はしっかりと払ってもらうからな」

 竹内の口調で話す優紀子の声は小刻みに震えていた。鼓動が高鳴っている事が優紀子自身にも分かる。

(だ、代償って……そんな。ちょっと待って。今、そんな事を言われても……。どうして教えてくれなかったの?)
「教えてくれなかったって、俺のせいにするのか? 俺は手紙を渡した瞬間から待つしか出来なかったんだ。お前の言葉を待つしかなかったんだ。それなのにお前は……俺のせいにするのか」
(……だ、だって。私、手紙の内容なんて知らなかったの。告白の手紙だなんて……。も、もし読んでいたら、きちんと返事を返していたわ。その……竹内君が期待した結果とは違ったかもしれないけど)
「もし読んでいたら……か。手紙を受け取った事すら忘れていたくせに」
(だからそれは謝ったでしょ)
「開き直るのか? お前は俺がどれだけ辛い気持ちで過ごして来たか、ぜんぜん分かっていないんだ。ずっと影から見てたんだ。中学に入ってからも、高校に行ってからも。そして、お前が就職し、あの順二って男と結婚してからも」
(う、うそでしょ。そんなの……)
「信じないなら信じなくてもいいさ。もう過去の事なんだから。優紀子、お前が結婚したときはマジで泣いたよ。死ぬかと思うほど泣いたさ。ほんの少しの可能性さえ断たれたんだから。そして俺の気持ちは切り替わった。俺をこんなに待たせていたのに、何の返事もしなかったお前だけが幸せな暮らしをするなんて有り得ない。俺がお前の幸せを打ち砕いてやるってさ」

 声を抑えて喋っているが、かなり興奮しているようだった。彼が優紀子の目で、ずっと話を聞いていた女性に合図すると、彼女は無言で部屋から出て行った。

(お、お願い。私達、幸せな生活を手に入れたの。だから……私達の幸せを壊さないで)
「何て我侭で自分勝手な女なんだ。お前の幸せなんて、俺の知った事じゃない。今からお前が自分自身で幸せを砕いていくんだ。言っている事が分かるか?」

 その言葉に嫌な予感がした。そして、自分自身で幸せを砕くという意味はすぐに分かった。

「んふふ、お待たせ。準備OKだけど」

 竹内の頭を撫でていた手元から男の声が聞こえた。優紀子の視線が、魂の抜けていた彼の顔に合う。

(ひっ!)

 背筋が凍るという表現が、たった今、分かった気がした。いつの間にか顔色が良くなった竹内が、ニヤリと笑いながら優紀子を見返していたからだ。

「そんなに驚くなよ。お前と同じ状態になっただけさ」
「いつも思うけど、男の体って違和感あるのよねぇ〜」

 女性口調で話しながら上半身を起こした竹内は、両腕を突き上げて背伸びをするとベッドから立ち上がった。茶色い襟付きのポロシャツに、グレーのズボン。細身の体は本来の身長をより高く見せているようだった。

「美代、ビデオカメラの準備は出来ているのか?」
「バッチリよ。ほら、あそこなら部屋全体が映るでしょ。このリモコンで録画を開始出来るから」

 竹内が指差す壁際に、一台のビデオカメラがセットされていた。

(ま、まさか……)
「そのまさかだよ。お前は今から俺に犯されるんだ。いや、違うな。お前が俺を犯すんだ。嫌がる俺を無理やり口説き、強引にセックスを行う。その様子をすべてビデオカメラに収める。旦那が見たらどう思うだろうなぁ」
(やめてっ! そんな事、絶対にしないでっ)
「嫌だね。俺がお前の体を操って、美代が乗り移った俺の体を丁寧に愛撫してやるんだ。俺がして欲しかった事を、お前の体を使って俺自身が実現するんだ」
(嫌っ! ゆ、許してっ。私、そんな事したくないっ)
「別にお前の体を傷つけ様なんて思っていないから大丈夫さ。美代、準備はいいか?」
「いいけど。でも、何だね。傍から見てたら、ずっと独り言を言ってる馬鹿な女みたい」
「だろうな」

 優紀子がフッと笑った。その後、彼女は一度玄関を出ると、改めて扉を叩いた。

「はい、どなた?」

 美代が竹内の口調を真似ながら扉を開くと、スーツ姿で爽やかに微笑む優紀子が立っていた。

「こんばんは。私の事、分かる?」
「えっ……。えっと、どちらさんでしたっけ?」
「私、優紀子。岡神優紀子、覚えてるかな?」
「岡神さん? あ……。もしかして小学校で一緒だった岡神さん?」
「そう。覚えててくれたんだ。嬉しいわ」
「でも、急にどうしたんだよ。それに、俺が住んでいる場所、よく分かったな」
「うふふ。ずっと竹内君の事、見てたんだよ」
「お、俺の事を? いつから?」
「ねえ、ちょっと上がってもいい?」
「あっ、ごめん。どうぞどうぞ。部屋、散らかってるんだ。連絡をもらってれば片付けてたのに」
「いいの。そのままの竹内君が見たかったから」
「そ、そっか……。ははは」

 まるで久しぶりに会った様な素振りで話す二人は、先ほどの部屋へ楽しそうに入っていった。すでにビデオカメラは動いており、全ての会話が記録されている。
 偽りの魂によって演じられた上辺だけの会話が――