この作品は若妻が寝取られるなど、ダークな内容が含まれる予定ですので、そのような内容に興味のある方のみ、閲覧いただきますようよろしくお願いします。
 いつの間にか、誰かに催眠術を掛けられてしまったのかしら――。
 優紀子が導き出した答えだった。どのタイミングで掛けられたのかは分からないが、そう考えると先ほどの言動も納得が行く。お前は男だと思い込まされたり、自分の身体が無意識に動く等と暗示を掛けられたり。催眠術なら、こういう感覚になるのかもしれない。
 そう思いながら流れる車窓の景色を強制的に見せられていると、目の前に自分の人差し指が現れ、左右に振れ動いた。それに合わせて「チッ、チッ」と舌打ちする。もちろん、彼女の意識でしているわけではなく、体が勝手に動いているのだ。それは、優紀子が考えていることを理解しているような動きだった。

(う、嘘。どうして?)

 その問い掛けに、彼女は車窓に薄っすらと映る、自分の顔に視線を合わせた。そして、「さあ?」と小さく呟いたのであった。明らかに返事をしている。それは、体が異なる意思を持っているという事だ。

(どういう事なの? ねえ答えて。私の身体、催眠術で操られているんじゃないの?)
「ふふふ、操られているのは正解。でも、催眠術じゃないの。あなたの体、催眠術よりもっと強力な力で操られているのよ」

 優紀子は、他人には聞こえないほどの小声で独り言を呟いた。小さな声でも、体に閉じ込められた彼女の意識には十分聞こえるのだ。

(強力な力……それ、どういう意味なの?)

 しかし、それ以上の回答が無いまま、勤めている会社にたどり着いた。

「おはようございます」

 窓から差し込む明るい日差しを遮るため、全ての窓にブラインドが掛かった三階のオフィス。周りにいる社員たちに笑顔を振りまきながら席に着いた彼女は、壁に掛けられている丸いアナログ時計を見た後、パソコンを使って業務を始めた。上司からメールで送られてくる顧客のデータをまとめるのが彼女の仕事だ。今日も数件分の作業依頼があり、いつもどおり、細い指先で軽やかにキーボードを叩き仕事をこなしてゆく。それがとても不思議であった。自分の意思ではないのに、全く同じように仕事が出来るなんて有り得るのだろうか。判断すべきところを判断し、的確に資料を作成する。彼女本人でなければ、この様な判断は出来ないはずだ。催眠術に掛かっているだけならば、それも可能かもしれないが、そうでないのであれば――。
 同じ能力を持ったもう一人の自分が現れたのか。もしかして、二重人格になってしまったのか。次に導き出した答えであった。新婚生活にはとても満足しているし、二重人格になるようなストレスを感じているわけでもない。仕事も充実し、むしろ幸せだと感じているのだ。二重人格になるような精神の状態ではないはずなのに。
 すると、優紀子の口が独りでに動き出し、軽く笑みを浮かべた。

「はは、なるほどな。そう考えたか」
(違うの?)
「別の人格は正解よ。でもね……あなたの中に新たな人格が目覚めた訳じゃないの」
(そ、それじゃ……)
「ふふふ」

 彼女の手がメールソフトを立ち上げ、見知らぬアドレスを入力した。そして、今勤めているオフィスの位置や、自分の身なりを詳細に綴っている。その後、親しい会社仲間の名前と座っている席を書き込むと、送信ボタンを押した。

(どうしてそんな内容を……誰にメールしたの?)
「それは後の楽しみって事でね」

 そう呟いた彼女の身体は、また何事も無かったかのように仕事を始めた。その一時間後くらいだろうか。立ち上げていたメールソフトから着信の知らせが入った。優紀子の意思から切り離されている手がメールを開くと、「OKよ!」と一言だけ書かれている。送り主は彼女と一番親しい、親友と呼べる仲の人物だった。軽く微笑みながら顔を上げ、斜め向かいに座っている女性に視線を向ける。視線の先には、眼鏡を掛けた丸顔の女性が座っており、彼女も優紀子に視線を合わせていた。メールの送り主である滝花敏恵だ。少しぽっちゃりとした体型の敏恵がウィンクすると、優紀子の身体が椅子から立ち上がり、顎で彼女について来る様、指示した。

(どうなっているの? 何処に行くの?)

 何の答えも無いまま彼女の身体は廊下を歩き、一番隅にある給湯室に入った。程なくして、敏恵の姿が現れる。

「へぇ〜、その女なの。なかなか美人じゃない」

 まるで初めて会ったような言葉が敏恵の口から飛び出したが、優紀子は別段気にする事なく鼻で笑った。

「フンっ、まあな。ところで美代、どの薬を使ったんだ?」
「Bの薬よ」
「じゃあその女の意識は眠っているんだな?」
「……って事。だってウザいじゃない? 頭の中で騒がれるのが。よくやるわね、Aの薬を使うなんて」
「そりゃそうだろ。本人の意識が無い状態で乗っ取った所で、全く面白味がないからな」
「まあ……今回はそうだけど。ところで知ってるの? その……優紀子チャン本人はあなたの正体を」
「まだ知らない。後でゆっくりと教えてやろうと思ってさ」
「相変わらずいやらしい性格よね」
「何の事だか。それより美代、お前に頼みがあるんだが」
「分かってるわよ。そのためにこの身体を乗っ取った様なものでしょ」
「まあな。しかし、もっと美人だったら良かったのに」
「そういう問題じゃないんじゃないの?」

 何を言っているのかさっぱり分からなかった。目の前にいる滝花敏恵の事を美代と呼び、彼女はそれを自分の名前のように受け入れている。おっとりとした普段の喋り方とは違う、女狐の様な雰囲気は見た目とは全く正反対の印象であった。そして自分の口から出る事実に言葉を失った。他人が身体を乗っ取っているなんて信じられない。操られていると言うよりは、奪われているのだ。
 いつの間に乗っ取られてしまったのだろうか。

「夕べ、寝ている間にさ」

 その問いかけに対する答えが優紀子の口から述べられた。

「何言っているの?」
「ああ。いつ身体を乗っ取られたのか気になっているみたいだから教えてやったんだ」
「ねえ、それよりもしないの?」
「そうだな。じゃ、始めるか」

 その言葉に、敏恵はスッと力を抜くと「ねえ優紀子。私ね、優紀子の身体に興味があるの。ここで触らせてくれない?」と微笑んだ。それは今までの敏恵と変わらない笑顔と言葉であった。