(へ、平治なのか?もしかして彼女の体に乗り移れたのか?)

 もちろん、幽体となっている海十の声を彼女は聞くことが出来ない。

「近くまで来ているのなら俺の近くで話を聞いてくれ」

 また独り言のように呟いた。

 「陣貝美喜子、二十三歳か。顔も可愛いけど声も結構可愛いな」

 美喜子は海十に聞こえるように名前と歳を呟くと、食べかけのパンを手に取った。

(なあ平治っ!お〜いっ!くそっ。やっぱり俺の声が聞こえないんだ)

 海十は已む無く、美喜子の横に漂った。

「人が齧った(かじった)パンを食べるのって抵抗あるけど、彼女が齧ったパンなら食べられるか……っていうか、自分が齧ったパンだし」

 並べていた足を組んだ美喜子がパンを頬張る。空いた腕をベンチの背もたれに掛けて食べる様は、少々偉そうな印象を受けた。

「この体はもう俺が支配しているんだ。彼女がイッた時に膣から入り込んで、幽体を体全体に広げる感じ。足の指から手の指、そして頭の先まで。そうすれば自然に幽体が体に馴染んで溶け込むことが出来るんだ。彼女の精神は抵抗する間もなく俺が支配した。だから体だけじゃないぜ。彼女の全てさ」

(全てってどういう事だよ?)と問いかけても、美喜子に乗り移っている平治には聞こえない。しかし、平治は美喜子の口を声を使って話を続けた。

「彼女の全てっていうのは、これまで生きてきた人生そのものって事。例えば高校二年で処女を失ったり、十一歳で初潮を迎えたり、初恋は小学一年生の時だったり。俺は彼女が覚えている記憶を全て知ることが出来るし、何を経験してきたかも分かる。もちろん、俺が乗り移るまでに何を考えていたか、これからどうしようと思っていたかも」

 パンの代わりにカフェオーレを口にした美喜子は、更に話を続けた。

「私は両親の反対を押し切って都会に出てきたの。憧れてたんだ……都会暮らしに。でも、いざ都会で生活してみるとすっごく大変。給料は安いし、物価は高いし。おまけに二年先輩の木谷さんがしつこく言い寄ってくるし。かなりキモイのよね。背は低いしブサイクだし。……こんな感じで陣貝美喜子を演じることが出来るんだ。体を乗っ取るというよりは、他人の人生ごと乗っ取れるんだ。すごいだろ」
(すげぇ……マジですげぇや!)

 少し間を置いた後、また美喜子が話を始めた。

「この状態になるためには完璧に乗り移らなければダメなんだ。まあ、一かゼロかのどちらかだな。乗り移れたら俺と同じようになれるし、無理に乗り移ろうとしても相手の精神っていうか、魂に拒否されるだけだから。だから上手く相手をイカせ、快感で体と精神が開放された瞬間に乗り移らなければダメなんだ」

 パンを食べ終わり、ベンチから立ち上がった美喜子は思い切り背伸びをした。

「乗り移る練習をする必要があると思う。最初は俺も簡単には乗り移れなかったからな。一人でいる女性を見つけて乗り移って見るといいぜ。気持ちよくさせないと必ず拒否られるから気をつけろよ。かなり苦しがって大変な事になるんだ。分かったか?」

 海十は頷くと、(さっそく試してくるよ!)と言って空高く舞い上がった。

「……海十、行ったかな?そろそろお昼休みも終わりかぁ。でも会社に戻るの嫌だな。適当な男を引っ掛けて犯されちゃおっか。いや、やっぱり会社に戻って同期の香帆とレズるほうがいいか」

 美喜子の記憶を盗み見る平治は左手首にある腕時計を見ると、その体を操りながら会社へと戻っていった。