姉は偉大なる科学者にして発明家である。
数年前に両親を事故で亡くして以来、姉が発明品による特許料で生計を立て、俺が掃除・洗濯・食事の用意など家事一般を引き受けるという分担になった。

ある日曜の朝、俺は姉さんの部屋に向かって歩いていた。
何でも新しい発明品のモニターをして欲しいとのこと。
部屋の前に立ってノックをする。
《コンコン》
「姉さん? 入るよ」
しかし、予想通り返事はない。
おそらく研究に没頭しているのだろう。
あるいは俺を呼び出したことすら忘れているのかもしれない。
うん、おおいにあり得る。

仕方がないのでゆっくりと扉を開ける。
部屋はあいかわらず足の踏み場も無い有様だった。
床には様々な書類、妖しげな機械、ぬらぬらと光る触手(生きてます)、頭のないホムンクルス(死んでます)などが散乱している。
……天井の透明なケースにキノコが数本栽培されている。この前に来た時には無かったはずだが。
しかし、青い。
やたらと青い、すさまじく青い。毒々しいなどという生易しいものではない。
あれが最新の研究対象だろうか。

さすがにこの状態はよろしくないとは思うのだが、下手に片付けようとすれば命に関わる気がする。
だから、この部屋と地下研究施設の管理は姉さんにまかせっきりだ。
奥の方には異様なオーラをまといつつ、パソコンにカタカタカタカタ×10と神速のスピードで何か打ち込んでいる姉さんの姿がある。

俺が部屋に入って周囲の様子を観察していると、姉さんは突如として振り返って言った。
「このナイフを使ってエロいことをしてきなさい」
と、勢いよく右手を突き出したものだ。
それと同時に、なぜか姉さんが掛けていたメガネがキラリと光った。

姉さんの手には刃渡り15cm程のナイフが握られていた。
一見したところは普通に見える。
「……またずいぶんと唐突だね。姉さん」

姉さんはいわゆるマッドサイエンティストでもあった。
裏の世界でもその名を轟かせているようで、姉さんの頭脳を狙って様々な組織が俺達に襲い掛かってきた。
詳細は割愛するが、モ○ルスーツに乗り込んでビームサー○ルを振り回した時は楽しかったな。

姉さんの外見はとても小さい。
中学生くらいの身体しかないのではなかろうか。
しかし、よれよれの白衣をひっかけ、分厚いメガネを掛けている様は、『いかにも』といった風情である。
髪はショートカット、理由はもちろん手入れをするのが面倒だから。
顔は美人の部類に入るのに、今は髪の毛がボサボサで、所々ハネている。惜しいことだ。
また徹夜でもしたのだろう。
「それはいいけど…」
「私は忙しい、早く受け取る」
あいかわらず端的にしか物を言わない人だ。
おまけにめったなことでは表情も動かない。
俺はそのナイフを受け取った。
姉さんはその瞬間にくるりと向きを変えると、またキーを叩き始める。
「詳細な使用方法は修二のパソコンに送る、報告はベルゼブブ(スリー)から受け取る」
ベルゼブブ靴箸蓮▲魯┠燭猟蕎型監視カメラのことだ。
んで、ちなみに修二が俺の名前だ。
「朝食は台所に置いといて。洗濯物は出しておいた」
そう言うだろうと思って朝食はすでに保温器の中に入れてあるし、洗濯物は現在洗濯中だ。
「姉さん、これだけは言っとくよ。無理はしないでくれ」
俺の言葉に姉さんは小さく頷いてくれた。
「……ん、これが終わったら少し休む」
「良かった。じゃあ、風呂でも沸かしておくよ」

姉さんは何も言わないけれど、これだけ必死になって研究を進める理由は一つ。

俺や自分を守るためだ。

多分姉さん一人だったら、とっくにどこかの組織にでも所属していただろう。
だから厳しいし、それ以上に優しい。
いくら天才と言っても一人の人間には違いない。
姉さんのこんな姿を見て、何とかしてあげたいといつも思う。

さて、これ以上姉さんの邪魔をするわけにはいかない。
俺は風呂場に向かうことにした。