「おはよう」
「お、おはよう……」

 朝の日差しが蚊帳の中に入ってきた頃、私達は同じ様に目覚めた。完全に寝不足で目の下にクマが出来ていそう。夕べの事を知らん振りしていたけど、表情から気まずい雰囲気を読み取られたみたい。郁美ちゃんは私から視線を外すと、深いため息をついて話し始めた。

「ごめんね、夕べは」
「えっ……あ……な、何が?」
「見てたでしょ」
「あ……う、ううん」
「夕べの事……あれ、私じゃないんだ」
「え?」
「……やらされてたの」
「や、やらされてた?」

 言っている事が理解できなかった。まるで他人のせいだという風に取れる言い回し。でも、夕べは郁美ちゃんが自分で――オナニーをしていたのだからやらされるとは思えない。

「実は……」

 郁美ちゃんは時折ため息をつきながら、全てを話してくれた。そして私はその内容に驚き、信じる事が出来なかった。いや、テレビを見ていると、世の中そういう話は少なからずあるみたいだけど、まさかそこまで――。



 郁美ちゃんは体を乗っ取られると言った。同じ学校に通う男子生徒に。
 その男子生徒は白田瑞生(しろだ みずお)といい、お寺の住職の息子らしい。
 小さいときから座禅を組んで精神統一を強制させられているうちに、ふとしたきっかけで幽体離脱が出来るようになったのだと。幽体離脱なんて私にはまったく縁のない言葉だけど、郁美ちゃんの話を聞くと背筋が凍りつくほど怖くなる。
 要は、幽体離脱すれば人に憑依出来ると。それは他人の体を自由に操る事が出来るということらしい。

「私の体に入り込んで、いやらしい事をさせるの。最初は本当に怖かった」
「だよね。そんな事されたら誰だって怖いよ」
「うん。白田の声が頭の中で聞こえるの」
「そ、そうなんだ」
「私と白田、二人で私の体を使っているみたいな錯覚になるの」
「……郁美ちゃんは、その憑依されたときって自分で体を動かせるの?」
「ううん。せいぜい頭を少し動かせるくらい。夕べの私を見ていたでしょ」

 郁美ちゃんが顔を赤らめながら私をチラリと見た。
 確かに苦痛そうな表情で、口から出ていた言葉も行動とは正反対だった。
 あれは白田という男子生徒が無理矢理オナニーさせるのを、郁美ちゃんが嫌がっていたということなんだ。

「う、うん」
「昼間はほとんど来ないの。学校もあるし、住職の父親が厳しくて帰ってからも色々大変らしいから」
「……よく知ってるんだね。白田の事」
「私に憑依して、頭の中で色々と話してくるのよ」
「そうなんだ」
「俺には寺に帰っても何の楽しみも無い。だから折角出来た特技を使って楽しんでいるんだって」
「そんなのひどいよ。考え方が歪んでるんだ」
「うん」
「ねえ郁美ちゃん。来たときからずっと気になってたんだけど、もしかしてその髪って」
「うん。白田がやったの。さっき、頭なら動かせるって言ったでしょ。白田はそれさえも出来なくする時があるの」
「えっ、それってどういう事?」
「私のようにしゃべったり笑ったり出来るってこと……」
「う、うそ……」
「本当なの。だから、私に成りすましてこんな髪型に。黒くて長い髪が自慢だったんだけど」

 悲しそうに髪を撫でる郁美ちゃんが、すごくかわいそうに見えた。他人に自分の体を弄ばれるなんて絶対に嫌だ。

「そんな事まで……」
「……実は、利子ちゃんを家に呼んだの、私じゃないんだ」
「……ま、まさか?」
「うん。年賀状を見て、白田が利子ちゃんを呼ぼうって。私は嫌だって言ったんだけど、白田は私に成りすまして利子ちゃんの家に電話したんだ」
「そ、それで夜遅くに掛かってきたんだ」
「うん。ごめんね、こんなに遠いところまで来てもらって」
「い、いいよ。郁美ちゃんが悪いんじゃないし、私は久しぶりに郁美ちゃんと会えてうれしい。でも……」

 私の心に不安がよぎってきた。
 もしかしたら、白田という男子生徒は私にも憑依するかもしれない。裸を見られ、いやらしい行為をさせられて――。

「もう帰る?」
「えっ?」
「心配でしょ。もしかしたら白田は利子ちゃんにも憑依するかもしれないから。そうなったら、私みたいに……」

 私の不安を郁美ちゃんは理解してくれている。

「ここにいたらきっと憑依されるよ。だから……帰ったほうがいいよ」
「…………」

 私はすぐに返答出来なかった。確かにこのまま郁美ちゃんの家にいると、私まで憑依されてしまうかもしれない。それは絶対に嫌だ。ただ、そういう目に会っている郁美ちゃんを一人置いて帰るのも、私の心が罪悪感でチクチクと痛む。郁美ちゃんは何も悪くない。悪いのは、その白田という男子生徒なんだ。
 私が直接会って、ギャフンと言わせてやれば大人しくなるかもしれない。それか、白田の親に告げ口してこんな事をされていると言えば二度としなくなるかも。
 そんな事を考えたのだが――。
 廊下から足音が聞こえ始めると、おばさんが現れた。

「おはよう。よく眠れた?」
「あ、おはようございます」
「暑くて寝苦しかったんじゃない?エアコンなんてうちには無いから」
「いえ。全然大丈夫。涼しかったですよ」

 別の意味で寝れなかったけど、私は笑顔でそう答えた。

「そう?それならいいんだけど。二人とも朝食が出来たから食べなさい」
「ありがとうございます」

 とりあえず朝ご飯を食べよう。そう思って郁美ちゃんと共に蚊帳の外に出ると、おばさんの作った美味しい朝ご飯をお腹いっぱいになるまで食べた――。