「何処に行ったのよ」

階段を昇りながら考える久美。
やっぱり一美に乗り移っていたのだろうか?
久美と話していた一美に不審な点はなかった。
でも、あのくらいの会話、琢次郎にだって簡単に出来るだろう。
一美の体で裸になり、風呂場の中で――

「やっぱり琢次郎が乗り移っているかもしれない」

久美はまた1階に降りると、気づかれないように脱衣室の扉をゆっくりと開けた。
その隙間から中を覗いてみると、既に一美の姿は無い。
どうやらバスルームに入っているようだ。

「…………」

そっと扉を閉めるとそのままバスルームのすりガラス扉に近づき、中の様子を伺う。
一美は気分が良いのか、鼻歌を歌っているようだ。
ただ、その鼻歌は一美が普段話しているような男性アイドルのものではなく、あまり聞かない女性アイドルの歌のようだ。

「はぁ〜。やっぱり風呂ってサイコー!」

湯船に浸かっているのであろう。
嬉しそうな声で、そんな言葉を口にしていた。

「風呂なんてどのくらい入ってなかったかなぁ。こんな感触だったっけ」

その言葉を聞いた久美は、琢次郎が乗り移っていると確信したようだ。
すりガラスの扉をガラリと開き、湯船に浸かっている一美を見つめた。

「琢次郎でしょ!お姉ちゃんの体から出てって!」

一美は、一瞬ハッとした表情をしたが、すぐに笑顔を作り直した。

「あら久美。どうしたの?やっぱり私とお風呂に入りたいの?」
「お姉ちゃんの真似しないで。琢次郎なんでしょ」
「琢次郎?琢次郎って誰よ」
「もうっ!早くお姉ちゃんの体から出なさいよっ!」
「ちょ、ちょっと。何訳の分からない事言ってるの?」
「琢次郎がお姉ちゃんの体に乗り移ってるんでしょ。分かってるんだから」
「……プッ!」

真剣な顔をして問いただす久美に、一美は思わず噴出してしまったようだ。

「な、何笑ってるのよ」
「だって久美、すごい顔してるんだもの」
「それは琢次郎がっ!」
「だからその琢次郎って誰なのよ。久美の彼氏?」
「なっ……」
「私、久美が言ってること、本当に分からないよ。私が久美の部屋に行った時から変な事聞いてくるし、バスルームにまで押しかけてきて」
「そ、それは……」
「久美が何を言いたいのかよく分からないけど……とりあえず一緒にお風呂に入らない?」
「……う、ううん」
「だったら、寒いからその扉、閉めてほしいんだけど」
「…………」

(本当に琢次郎じゃないの?)

「ね、ねえお姉ちゃん」
「何?」
「さっき鼻歌、歌ってたよね」
「えっ。う、うん」
「あれ、誰の歌なの?」
「あれは……私の好きな女性グループの歌よ」
「お姉ちゃん、普段は男性アイドルの曲しか聞いてないんじゃないの?」

ピクピクッと眉毛を動かした一美は、返答するのに時間が掛かった。
でも、

「たまには聞くのよ。私が女性グループの鼻歌を歌うの、おかしかった?」
「……うん」
「そ、そっか。じゃあ男性アイドルの歌を歌おうかな」

そう言うと、一美は久美も知っている男性アイドルの鼻歌を歌い始めた。
結構新しい曲だ。

「……お姉ちゃん」
「何?」
「訳が分からない事を言うけど、とりあえず聞き流してね」
「うん」
「……琢次郎。もし今お姉ちゃんの体に乗り移って私を騙しているのなら、私は絶対に協力しないから。二度と私の前に現れないでね」
「えっ……」
「それだけ。ごめんね、お姉ちゃん」

久美はそれだけ言うと、バスルームから出て行った。

「…………」

一人湯船に浸かったままの一美は、ポリポリと頭を掻くと、

「ふぅ〜」とため息をついたのだった――