「おはようございます」

広々としたオフィススペースには、10個くらいの事務机が5×2の島となって幾つか並んでいる。
窓際、その島の向こうに少し大きめの机が1つずつ並んでいた。
その中の1つが課長となった浩美の机だ。
先月までは他の社員たちと同じく、手前にある机の島に座っていた浩美にとっては、周りが広く見渡せる課長のスペースに開放感を感じていた。
ただ、見渡せると言う事は他の社員からも見る事が出来るのだ。
今の浩美にとっては、それが嫌だった。

まだ乳房への愛撫は止まらない。
一体いつまで続くのだろう?
浩美は他の社員に悟られまいと、それとなく片手で胸を隠すようにして席についた。
茶色のショルダーバッグを机の一番下の引き出しに入れ、周りを見渡す。
浩美の隣には1mほどの間隔を空けて宮崎係長の机があったが、まだ来ていないようだ。
宮崎も会議に同席し、浩美のサポートを行う事になっている。

宮崎係長、まだ来てないのね。とりあえず会議の準備をしなきゃ……

机の上に置いているノートパソコンの電源を入れ、昨日作っておいた会議の資料を印刷する。
この資料を配って、浩美が課長を務める営業3課がどれだけ契約を結べたか、またそれらの進捗状況を説明するのだ。

電車の中で胸を揉まれ始めてから約30分。
最初は気持ち悪さしか感じていなかった浩美も、その見えない手の優しい動きに何時しか変化を感じていた。
あのきつい揉み方とは違って、労わる様に触り弄ぶ感覚。
不思議と嫌な気持ちではなくなってきたのだ。
乳房を揉まれているだけで、一度も乳首を刺激されてはいない。
両胸を触る指が一本ずつになり、乳房の上で円を描くように撫でる。
乳首の近くまで迫ると、そのまま円を描きながら遠ざかってゆく。
今度は、手のひら全体で下から優しく持ち上げられ、フルフルと上下に揺らされる。
ブラジャーのカップの中で、微妙に擦れる乳首。

「はぁ……」

浩美は机の上に両肘を立てて、組んだ指の上におでこを乗せた。
自分でも、いつもより鼓動が早くなっているのが分かる。

この状況で会議に出なくちゃいけないの?

俯いたまま、ジャケットの胸元を見つめる。
今の揉まれ方からして、胸の動きをジャケット越しに確認する事は出来ない。

「吉原課長?」

いつの間にか机の前に立っていた女性社員が、俯いている浩美に声を掛けた。

「えっ……あ……な、何?」
「大丈夫……ですか?」
「あ……うん。だ、大丈夫。ちょっと気分が悪かったけど、もう大丈夫」
「そうですか。それならいいんですけど」

話しかけてきた女子社員は、同期入社の女性だった。
つい先月まではタメ口で話す仲だったのに、今の彼女は浩美に敬語を使って話しかけてくる。
ちょっとこそばゆい感じもするが、それはそれで嫌な気分ではなかった。
でも、そうやって敬語を使われると、仲の良かった女性社員たちがだんだんと離れてゆくような気がする。
仲が悪くなったとは思わないのだが。

女子社員が自分の席に戻った後、浩美は「ふぅ」とため息をついてプリンターから出力された会議の資料を数部、ホッチキスで止めた。
よく考えれ見れば、こう言った作業も部下にやらせればよいのだ。
そう思いながら、ふとオフィスの入り口に目を向けると、ちょうど宮崎が入ってきたところだった。
宮崎 孝司(みやざき たかし)は48歳。もちろん、妻子を持っている。
入社して以来、必死になって働いてきた彼の頭はかなり薄くなっており、黒髪よりも白髪の方が多い。
やせ細った体格にくたびれたグレーの背広は、すでに企業戦士としての役目を終えているかのよう。
それは、浩美が課長となってから特に感じられるようになった。
本来……年功序列、経験からすると宮崎が課長に昇進する筈だったのだから。
有能な部下を持つことは上司にとって好ましいのだが、宮崎に関していえば不運だったのかもしれない。
まさか自分を通り越して、「上司」になるなんて思ってもいなかったことだろう。
でも、今日の宮崎はいつもの疲れた表情ではなく、とてもすがすがしそうな表情をしていた。

「おはようございます、吉原課長」
「お、おはようございます。宮崎係長」
「おや、今日は気分でも優れないんですか?顔色が少し悪いですよ」
「そ、そうかしら?そんな事……ないですが」
「……そうですか」

一応、宮崎には敬語を使って話す。
さすがに同僚や平社員とは違い、これまで上司だった宮崎にタメ口で話すのは気が引けるようだ。

「あと10分で会議ですな。私も準備をしなければ」
「はい。これが会議の資料です」
「ありがとうございます」
「次からは宮崎係長がまとめてくださいね」
「え、ええ。分かりました」

宮崎係長はピクンと眉を動かしたあと、会議の資料に少し目を通し始めた。
それを見た浩美が、「私、先に会議室に言っていますから」と言って席を立つと、
「ええ。あとですぐに行きますよ」と返事をした。
その宮崎の視線は、何故か浩美のテーラードジャケットの胸元にあった。
そして、浩美の歩く後姿を舐めるように上から下へと見つめた宮崎。

「今日は楽しい会議になりそうだな」

そう呟いてニヤリと笑った瞬間、歩いていた浩美はビクンと体を硬直させ、手に持っていた資料を落してしまった。
頭の先からつま先までを、一瞬にして寒気が襲う。
右耳の中に舌を入れられた感じがしたのだ。
通常では考えられないくらい奥まで舌が入り込んでくる。
その、おぞましくも官能な刺激に、思わず右耳を押さえた。

「ぅぅっ……」
「どうしたんですか?」
「み、耳の中に……」
「耳の中に?」
「……はっ!あ、ううん。な、なんでもない」

近くに座っていた社員が不思議そうに見つめている。
浩美はその視線から逃げるように手早く資料を拾い上げると、まだ続く耳への攻撃に耐えながらオフィスを後にした。


いやっ!

耳の中を、硬く尖らせた舌先で丹念に舐め回される感じ。
小指を耳の中に入れても、その感覚は全く消えない。
たまらず首をすくめて廊下に立ち止まる。

だ、だめっ……

ゾクゾクッとした寒気が、何度も何度も全身を駆けてゆく。
もちろん、乳房への愛撫は続いたままだ。
胸と耳を同時に攻められた浩美は、もう一歩も歩けない状態になっていた。
廊下の壁に寄り添うようにしゃがみこみ、右耳を押さえながらうずくまる。

「はぁ、はぁ、はぁ……」
「おや、吉原課長。どうしたんですか?こんなところでうずくまって」

ぎゅっと目を瞑ってその刺激に耐える後姿に、ネクタイをクイッと直しながら声を掛けた宮崎。

「はぁ、はぁ……あ……」

どういうわけか、右耳への刺激が消えた。
ゆっくりと耳を押さえていた手を離す。

「吉原課長?」
「えっ……」
「ほら、早く行かないと会議に遅れますよ」
「はぁ、はぁ、はぁ……え、ええ」

宮崎は、よろめきながら立ち上がった浩美を追い越して会議室へと歩いていった。
その表情は、溢れんばかりの優越感で満ち足りていた。

ほ、本当に……私の体……どうなってしまったの?